22代王のイ・サンは、幼いころから学識に優れていた。歴史を詳しく学んでおり、歴代王の足跡もよく知っていた。その中で彼が感じたことは、王朝に起こった毒殺事件の数々であった。それゆえ、自分にも毒殺を仕掛けられる危険性を察知していた。それを防ぐために細心の注意を払っていたのである。
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よく知られているように、イ・サンは10歳のとき、父である思悼(サド)世子を「米びつ餓死事件」で失っている。その出来事は、幼い心に深く鋭いトゲを残した。父を死に追いやった老論派は、その仇敵の息子であるイ・サンに対しても冷酷な監視の目を光らせた。
やがて彼が10代後半を迎える頃、老論派はついに彼の暗殺を視野に入れ始める。イ・サンは「世孫(セソン)」という王位継承の正統な立場にあったため、英祖(ヨンジョ)が没すれば、ただちに新たな国王として即位する可能性が高かった。その可能性を恐れた老論派は、英祖の生存中にイ・サンを葬ろうと画策したのである。
その危機を、イ・サン自身が察知していなかったはずがない。彼はいつ刺客が現れてもいいように、常に警戒を怠らなかった。それゆえ、夜は着替えをせずにそのまま寝床についたという。
もし刺客が来たら、即座に逃げ出す必要があったからだ。未来の国王になる身分でありながら、眠ることすら安心してできなかった彼の心境はいかほどであっただろうか。
それでもイ・サンは心が折れなかった。夜ごとの不安を飲み込みながら、彼は鋼のような強い意志を育てていった。忍耐という名の炎に焼かれながら、彼の精神は磨かれ、ついには国王たる風格を帯びるようになった。
しかも、国王になってからのイ・サンの生活は、常に息を呑むような緊張感に満ちていた。それも仕方がない。イ・サンが国王に至るまでの道のりには、数え切れぬほどの命の危機があったし、それは即位した後も変わらなかった。そうした恐怖の中で、イ・サンはあれほどの政治的な業績を残したのである。
文=大地 康
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