『太宗 イ・バンウォン』が描いた朝鮮王朝の建国は後の「骨肉の争い」をどう暗示した?

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大河ドラマ『太宗 イ・バンウォン~龍の国~』は第11話から、キム・ヨンチョルが演じている李成桂(イ・ソンゲ)が初代王になって新しい王朝をスタートさせていた。それは華やかな幕開けだったのだが、同時に難問を抱えてしまった。

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顕著だったのは、李成桂が二男・芳果(バングァ)、三男・芳毅(バンイ)、四男・芳幹(バンガン)、五男・芳遠(バンウォン)を冷遇したことだ。とりわけ、チュ・サンウクが扮する芳遠への仕打ちがあまりにひどかった。彼は高麗王朝を滅亡させた功労者なのに、王宮への出入りを禁じられる有様だった。まさに、勘当も同然だったのだ。

さらに、新しい王朝の王妃には李成桂の第二夫人であった康氏(カンシ)が冊封され、世子(セジャ/国王の正式な後継者)には八男の芳碩(バンソク)が指名された。李成桂の第一夫人だった亡き韓氏(ハンシ)が産んだ息子たちとの格差は明らかだった。

その結果、李成桂の息子たちの間で確執が生まれてしまった。王家がこのような状態になり、新しい王朝の船出は多難となった。すべては李成桂があまりにも意固地になったことが原因だった。

彼は高麗王朝の大将軍として異民族との戦いで功績を挙げた大人物である。戦乱において本当に頼もしい英雄であったのだ。しかし、戦乱を収めて新しい王朝を築けば、人事を公平に行って忠臣たちから不満が出ないようにしなければならなかった。それなのに、そういう配慮が李成桂には欠けていたと言わざるをえない。

太宗イ・バンウォン~龍の国~
(写真提供=Monster Union)

兄弟同士の骨肉の争い

史実を見ると、李成桂は康氏のことを心から寵愛し、彼女の度重なる懇願によって芳碩を世子にした。これが根本的な間違いであったことは、王朝が誕生してから6年目に明らかになってしまう。

李成桂が韓氏の産んだ息子たちの中から世子を選んでいれば、兄弟同士の骨肉の争いという悲劇は起きなかったのだが……。その経過は今後の『太宗 イ・バンウォン~龍の国~』で詳細に描かれていくことだろう。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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