【疑問解消の歴史Q&A】『太宗 イ・バンウォン』でわかりづらい人間関係を教えて!

このエントリーをはてなブックマークに追加

テレビ東京で放送中の『太宗 イ・バンウォン~龍の国~』は、重厚な歴史を描いた大河ドラマである。物語の序盤を見ていると、人間関係でわかりづらい部分がある。その点を明らかにするために、Q&A方式で疑問点を解説してみよう。

【関連】まさに「血の抗争」。朝鮮王朝時代の後継者争いはなぜ荒れたのか

〔質問1〕李成桂(イ・ソンゲ)に2人の妻がいるが、それが当時は可能だったのか。

〔回答1〕高麗王朝は一夫多妻制だった。出世した男性が夫人を複数持つことがよくあったのだ。武将として成功した李成桂にも同時に2人の夫人がいた。第一夫人が韓氏(ハンシ)。李成桂が出世する前から夫を支え続けた「糟糠の妻」だ。

李成桂はこの妻との間に6男2女をもうけている。第二夫人は康氏(カンシ)。彼女は韓氏に比べるとはるかに有力な家柄の出身であり、李成桂の息子を2人産んでいる。

〔質問2〕李成桂の息子たちの中で李芳遠(イ・バンウォン)と仲が悪い兄弟がいるが、それは誰なのか。

〔回答2〕李成桂は2人の夫人との間で8人の息子を持った。その中で、五男が『太宗 イ・バンウォン~龍の国~』の主人公となっている李芳遠である。そして、李芳遠のすぐ上の兄が、李成桂の四男である李芳幹(イ・バンガン)だ。彼はとても野心的な男で、李芳遠とも対立することが多かった。

その点は、『太宗 イ・バンウォン~龍の国~』で描かれた通りだ。1400年には李芳幹が反乱を起こして自分が王位を狙いに行ったが、李芳遠に鎮圧されている。その末に、李芳遠が3代王として即位した。

太宗イ・バンウォン~龍の国~
(写真提供=Monster Union)

分かりづらい人間関係

〔質問3〕李成桂が信頼する腹心について教えてほしい。

〔回答3〕李成桂の腹心として有名なのが、鄭道伝(チョン・ドジョン)と鄭夢周(チョン・モンジュ)である。2人とも高麗王朝末期を代表する大学者だった。鄭道伝は李成桂が高麗王朝を滅ぼして新しい王朝を作ることに賛成していた。

対照的に鄭夢周は、高麗王朝に対して忠誠を誓っていて、李成桂が高麗王朝の国王を廃して新しい王朝を建国することに反対していた。最終的に鄭夢周は李芳遠によって殺されてしまう。

〔質問4〕李芳遠の妻はどういう女性なのか。

〔回答4〕李芳遠が閔氏(ミンシ)と結婚したのは1382年である。芳遠が15歳で閔氏は17歳だった。閔氏の実家は高麗王朝の名門であり、李芳遠の実家よりずっと格上だった。形のうえでは、父の李成桂が閔氏一族の力をあてにして五男の李芳遠の婚姻を進めたのである。

閔氏はとても聡明で、李芳遠が出世する上で内助の功を大いに発揮した。夫にとって、本当に頼りになる妻であった。そういう姿は『太宗 イ・バンウォン~龍の国~』でもよく描かれている。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

【関連】【サク読み韓国史】建国と後継者争いが続いた朝鮮王朝の前期

【関連】朝鮮王朝の始祖・李成桂(イ・ソンゲ)はいかにして王になったか

【関連】知ってた?韓ドラ時代劇にもっとも多く登場する王様は誰か

前へ

1 / 1

次へ

関連記事


RANKINGアクセスランキング

写真


注目記事