朝鮮王朝には518年間に27人の国王がいた。その中で、ハングルを作った4代王・世宗(セジョン)が「史上最高の名君」と称賛されている。まさにランキングで不動の1位。だからこそ、今の韓国で1万ウォン紙幣の肖像画になっているのだ。
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それなら、ランキングの2位は誰なのか。実際、朝鮮王朝の後期には業績が多い国王がいた。それが、粛宗(スクチョン)、英祖(ヨンジョ)、正祖(チョンジョ)である。彼らは、韓国時代劇の愛好者なら誰もが知る国王たちだ。
果たして、3人の国王の歴史上の功績はいかなるものだろうか?
具体的に比較してみよう。まずは粛宗から。
1674年に即位した粛宗は、弱体だった王権を強化することに尽力した。彼は強靭なリーダーシップで政治の課題に立ち向かい、商業の振興や民衆の生活向上に努めた。国防も固め、その業績から彼は名君と呼ばれるにふさわしい存在であるといえよう。
その一方で、悪名高き張禧嬪(チャン・ヒビン)を王妃に迎えて、王宮内を混乱させた。そういうマイナス点もあった。
次に、粛宗の二男である英祖について。
彼は1724年に即位した。高官たちの派閥争いに苦しむ中、公平な人材登用政策である「蕩平(タンピョン)策」を実施し、派閥権力の均等化を図った。
彼は人事において優れた才覚を示したが、残念なことに息子の思悼(サド)世子を餓死させている。英祖は政治的には優れた名君であったが、親子関係においては問題があった。
3人目は、英祖の孫である正祖(チョンジョ)である。本名の「イ・サン」でよく知られている国王だ。
彼は常に服を着たまま寝ていたと言われた。暗殺される危機を抱えていたからだ。そんな苦難を乗り越えて、正しい政治を行い、実学を推進し、文芸の復興に情熱を注いだ。
彼は名君としての人格も持ち合わせており、文化の発展にも大きく貢献した。彼こそが真の名君であったと言えよう。
いろいろ比較してみると、やっぱりランキングの2位は正祖で決まりだ。
文=大地 康
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