朝鮮王朝では王位をめぐる争いがなぜこんなに多かったのか

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チョン・イルが主演した『ヘチ 王座への道』でも、王位継承をめぐる問題がとても大きな話になっていた。それは、朝鮮王朝の宿命でもあった。国王が絶対的な権力者として存在が強大すぎるので、その座をめぐって熾烈な争いが起きるのだ。

とはいえ、本来なら、国王の後継者は長男が継ぐのが原則になっていた。それなのに、長男が順当に王位を継承したケースのほうが少なかったというのが現実だった。

【関連】【朝鮮王朝の闇】果たして英祖は兄の景宗を毒殺したのか

結果的に、国王の後継者を決めるときに、争いが起こって血が流れたことが何度もあった。象徴的なのは、朝鮮王朝が建国まもないときも後継者争いで骨肉の争いが起きたことだ。

このときは、初代王・太祖(テジョ)の後継ぎをめぐって、第一夫人の息子たちと第二夫人の息子たちが争い、第二夫人の息子二人は殺されてしまった。こうした騒動の後で太宗(テジョン)が実力者として王権を整えて朝鮮王朝の基盤を作ったのである。

朝鮮王朝の歴史の中で王位をめぐる争いがよく起こっていた

王位継承の騒動

とはいえ、以後も朝鮮王朝では後継者をめぐる骨肉の争いが絶えなかった。

いくつかの例を挙げてみよう。

1455年、6代王・端宗(タンジョン)の叔父だった首陽大君(スヤンデグン)は、強奪するような形で甥を退位させて、自ら7代王の世祖(セジョ)として即位した。

また、1506年には、10代王・燕山君(ヨンサングン)がクーデターで王宮を追われてしまい、異母弟が11代王・中宗(チュンジョン)となっている。

さらに、1623年、15代王・光海君(クァンヘグン)がクーデターで廃位となり、甥の仁祖(インジョ)が16代王に即位した。
こうした騒動の他にも、国王が急死すると毒殺説がよく流布した。

たとえば、1724年に20代王・景宗(キョンジョン)が突然亡くなると、後を継いだ異母弟の英祖(ヨンジョ)が国王になりたいために景宗を毒殺した、という噂が王宮に広まって大変な騒動になっている。

こうした出来事が起きるのも、王位継承が王朝の将来を左右する一大事であったからだ。結局、朝鮮王朝は518年間も続いたが、その間に王位継承の騒動はたゆまなく続いていた。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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