朝鮮王朝時代の「三大定番悪女」といえば、張緑水(チャン・ノクス)、鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)、張禧嬪(チャン・ヒビン)である。
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張緑水は10代王・燕山君(ヨンサングン)の側室だった。王宮にあった財宝を勝手に持ち出すなど強欲で、燕山君の悪政に加担した。燕山君がクーデターで追放された後、彼女は恨みを持つ人たちによって斬首された。その遺体に庶民が石を投げ続け、石塚ができたという。最悪な最期だった。
鄭蘭貞は11代王・中宗(チュンジョン)の三番目の正室・文定(ムンジョン)王后の手先だった。文定王后は自分の息子を王位に就けるために様々な陰謀を行なったが、その実行役だったのが鄭蘭貞である。文定王后の弟だった尹元衡(ユン・ウォニョン)と共謀して、彼の妻も毒殺した。1565年に文定王后が死ぬと、後ろ盾を失って自害した。
張禧嬪は19代王・粛宗(スクチョン)の寵愛を受けた側室で、一介の宮女から王妃まで昇格したシンデレラでもあった。しかし、国王からの寵愛を失い側室に降格された後も、王妃を呪い殺そうとしたことが重罪となり、最終的には死罪に処された。
以上の3人は、低い身分から必死に成り上がろうとした結果、悪の道を歩んだのである。一方で、権力の座にあった悪女たちは一体何をしたのか。
文定王后は摂政をした後、一族で賄賂政治を続け、日照りで餓死者が多かったのに見殺しにした。悪政の張本人であった。
貞純(チョンスン)王后は21代王・英祖(ヨンジョ)の二番目の正室で、イ・サンが亡くなったあと、幼い23代王・純祖(スンジョ)の代理で政治を仕切った。政敵が多いという理由でカトリック教徒を弾圧して多くの人を虐殺した。恐ろしい悪魔だった。
純元(スヌォン)王后は純祖の正室で、一族の安東・金氏(アンドン・キムシ)で政権の要職を独占し、政治を腐敗させた。
以上の女帝たちは、庶民の生活を犠牲にして自らの欲望を満たした。彼女たちは朝鮮王朝の政治を混乱させて庶民を苦しめた真の巨悪だった。
「三大定番悪女」と「三大極悪王妃」を比べたら、もちろん、文定王后、貞純王后、純元王后が該当する「三大極悪王妃」のほうがずっとワルだった、と結論づけることができるだろう。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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