『オクニョ 運命の女(ひと)』ではキム・ミスクが演じた文定(ムンジョン)王后が「恐ろしき悪女」として描かれていたが、その手先になっていたのが、パク・チュミが扮した鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)であった。
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彼女は「朝鮮王朝三大悪女の一人」に数えられているが、どんな悪事を働いたのだろうか。有名なのは「灼鼠(しゃくそ)の変」の当事者であったことだ。この事件の背景を見てみよう。
文定王后は中宗(チュンジョン)の三番目の正室だが、実は二番目の正室が産んだ息子が世子になっていた。
そのままいけば世子が中宗の後を継いで国王になる。それが我慢ならなかった文定王后は、世子の命を狙った。そのために計画された悪事が「灼鼠の変」であった。
事件の発端は、世子の誕生日に彼の住まいの庭の木に焼かれたネズミの死骸が吊るされていたことだ。世子は子(ね)年である。あたかもネズミの死骸は世子の不幸な姿を暗示していた。
犯人探しが始まり、側室の敬嬪(キョンビン)・朴(パク)氏が疑われた。彼女は中宗の息子を産んでいた。それを警戒した文定王后は罪を敬嬪・朴氏になすりつけようとした。こうして「灼鼠の変」は文定王后の陰謀で起こり、実行役を受け持ったのが鄭蘭貞だった。
それはまんまと成功し、敬嬪・朴氏は王宮から追放されてしまった。さらに、世子を脅迫するうえでも効果があった。
これを手始めとして、文定王后と鄭蘭貞は王宮で悪事を繰り返した。その総仕上げが、世子から国王になった仁宗(インジョン)の毒殺であった。
その実行役も鄭蘭貞だ。結局、仁宗は即位して8カ月で急死し、文定王后は自分が産んだわが子を王位につけることに成功した。
文定王后は悪行に手を染めて自分の願いをすべて叶えていった。本当に恐ろしい王妃だ。しかし、立場上、自分では手を下していない。その代わり、鄭蘭貞が実行役として裏で大いに動いたのである。このように、「表の文定王后、裏の鄭蘭貞」がセットで悪事を成し遂げていったのだ。
実際に手を汚したのは鄭蘭貞である。彼女は「悪魔の手先」として歴史に名を残した。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
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