『オクニョ 運命の女(ひと)』は、「時代劇の巨匠」と称されたイ・ビョンフン監督の作品らしく、歴史を題材にフィクションを交えながら、本当に面白いストーリーに仕上がっていた。
時代設定は16世紀の中盤で、13代王の明宗(ミョンジョン)が統治していた。
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当時の世相がどうなっていたかと言うと、人のいい明宗をないがしろにして、悪事をとことん働いた3人が目立っていた。
その3人とは、果たして誰なのか。
それは、文定(ムンジョン)王后、尹元衡(ユン・ウォニョン)、鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)であった。
この3人はどれほどワルだったのか。順に見ていこう。
文定王后は11代王・中宗(チュンジョン)の三番目の王妃だ。彼女は、中宗の二番目の王妃が産んだ12代王・仁宗(インジョン)を1545年に毒殺したと言われている。それは、我が子の明宗を王にするためだった。
そのとき、実行犯として仁宗に毒を盛ったのが鄭蘭貞である。彼女は「朝鮮王朝三大悪女」の1人に数えられている。
こうして明宗の後見人となった文定王后は女帝のように振る舞い、悪政を次々と行なった。当時は干ばつが続いて餓死する人が多かったが、文定王后は何の救済もしないで見殺しにした。そのうえで私腹を肥やしていた。
その文定王后の弟が尹元衡で、賄賂政治を横行させた。そのあたりは、『オクニョ 運命の女(ひと)』でもよく描かれていた。
さらに、尹元衡は妾の鄭蘭貞と共謀して妻を殺し、鄭蘭貞を後妻にした。そして、この夫婦はさらに悪事を重ねていった。
このように、『オクニョ 運命の女(ひと)』に登場する実在の3人は、朝鮮王朝をとことん混乱させるワルたちだった。
その末に、文定王后は1665年に世を去った。残った尹元衡と鄭蘭貞は後ろ盾を失って逃亡し、最後は自害した。
あまりにたくさんの恨みを買いすぎて、とうてい生き残ることができなかったのだ。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
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