ドラマ『トンイ』ではハン・ヒョジュが主人公トンイをハツラツと演じたが、モデルになった歴史上の女性は淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)である。彼女は粛宗(スクチョン)の側室として張禧嬪(チャン・ヒビン)の終生のライバルとなる。そのあたりの事情はドラマ『トンイ』でも詳しく描かれていた。
そんな淑嬪・崔氏の人生を見ていて気になるのが、何人の子供を産んだのか、ということだ。有名なのは、淑嬪・崔氏が英祖(ヨンジョ)の母親だった事実だ。この英祖はチョン・イルが主演した『ヘチ 王座への道』でも主人公として名君ぶりを発揮していた。
この英祖の他に、淑嬪・崔氏に子供はいたのだろうか。具体的に見てみよう。
淑嬪・崔氏が側室として最初に粛宗の子供を産んだのは1693年だ。王子が生まれて長寿君(チャンスグン)と名付けられ、粛宗もとても喜んだ。しかし、無情にも生後2カ月で亡くなってしまった。淑嬪・崔氏の悲しみも本当に深かった。
翌年の1694年にも淑嬪・崔氏は出産している。その子供がヨニングンであり、後の英祖となる王子だ。粛宗から見れば長寿君に続く三男に当たる。
ちなみに、長男は1688年に張禧嬪が産んだ世子(セジャ)であり、後に粛宗の後を継いで景宗(キョンジョン)として即位している。
なお、張禧嬪が産んだ子供は1人だけだったが、淑嬪・崔氏はさらにヨニングンの弟を産んでいる。それは1698年のことで、淑嬪・崔氏は3人の母となったのだ。
しかし、この王子は出生してまもなく早世してしまった。
結局、淑嬪・崔氏は3人の息子を産んでいるが、そのうちの2人がすぐに亡くなった。母親として、こんなに悲しいことはないだろう。
とはいえ、1人残ったヨニングンは後に英祖となり、朝鮮王朝27人の歴代王の中で一番長生きした。なにしろ、80歳以上まで生きた国王は英祖だけなのである。
そういう意味では、史上最高に長寿だった国王を産んだということで、淑嬪・崔氏は朝鮮王朝の王室に多大な功績を残していた。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
■【写真】時代劇で国王を演じる時のチョン・イルがかっこよくて魅力的
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