大河ドラマ『太宗 イ・バンウォン~龍の国~』は、いよいよチュ・サンウクが演じる主人公の李芳遠(イ・バンウォン)が異母弟の世子を廃する軍事クーデターを実行する流れになってきた。その前に立ち向かったのが鄭道伝(チョン・ドジョン)であった。ドラマではイ・グァンギが強い意志を見せて演じていた。
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1392年に建国した朝鮮王朝において、鄭道伝は間違いなく第一等の功臣であった。初代王の李成桂(イ・ソンゲ)を補佐して、始まったばかりの朝鮮王朝の基盤を整備した立役者と言えるだろう。それほどの大人物であったのだ。
朝鮮王朝の前の高麗王朝は仏教を国教にしていた。その高麗王朝を滅ぼした後、朝鮮王朝は国教を儒教に変えている。そこに至る経緯にはこんな逸話がある。
朝鮮王朝の正宮である景福宮(キョンボックン)を建設する時の話だ。正門の位置をどの方向にするかで大議論があった。
鄭道伝はこう主張した。
「南に向かって政務を行えば、王朝が長生きするでしょう。必ず南向きに王宮を建てるべきだと思います」
一方、仏教で有名だった無学(ムハク)大師はこう反対した。
「南方には災いをもたらす気脈があるので、東向きに王宮を建てたほうがいいでしょう」
儒学者の鄭道伝と仏教僧侶の無学大師がこのようにお互いの意見を主張した。2人とも李成桂の重要な側近であった。果たして、李成桂がどちらの案を採用するのか。
注目が集まる中で、結局、李成桂は鄭道伝の主張を全面的に受け入れた。つまり、景福宮の正門は南向きになったのだ。この論争の勝利によって、朝鮮王朝が儒教を完全に国教にすることが決まったと言えるだろう。
朝鮮王朝は最終的に518年間続いた長寿王朝だった。その間、ずっと儒教によって統治が完遂されていった。その基本路線を作ったのが鄭道伝なのである。やはり、朝鮮王朝の建国を語る上で、この男の存在は絶対に欠かせない。ときには李成桂を上回るほどの影響力を持っていた。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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