朝鮮王朝で鄭道伝(チョン・ドジョン)といえば、「朝鮮王朝の基盤を作った功労者」と称されるほどの大人物である。それなのに、朝鮮王朝の歴史を正確に記したはずの正史「朝鮮王朝実録」では、鄭道伝の最期を意図的に書き直した疑いが強い。
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その経緯を見てみよう。
建国当初の1398年、初代王・太祖(テジョ)の後継者をめぐって異母兄弟の間で争いが勃発したとき、鄭道伝は太祖が世子に指名した8男を支援した。
しかし、結局は5男が争いに勝って8男は殺された。これが「王子の乱」と呼ばれた政変だ。8男はやがて3代王・太宗(テジョン)として即位した。その影響で、「朝鮮王朝実録」の記述は完全に太宗の指示どおりになって、政敵とされた鄭道伝はひどい扱いになってしまったのだ。
「王子の乱」が起きたとき、太宗は鄭道伝の屋敷を襲って彼を殺害している。「朝鮮王朝実録」の記述では、隣家の押し入れに隠れていた鄭道伝は、捕まってしまうとみじめなほど取り乱し、「お願いですから殺さないでください」と情けなく哀願し続けたという。
つまり、朝鮮王朝建国の功労者と言われた高潔な人物が見苦しい姿をさらして命乞いをしたというのが「朝鮮王朝実録」の言い分だ。
果たして、この記述を信じてもいいのだろうか。
疑問を持つ人はかなり多い。実際、朝鮮王朝時代初期の出来事を扱った傑作時代劇『龍の涙』では、鄭道伝の最期が「朝鮮王朝実録」とまったく違う描き方になっている。
ドラマでは、敵に囲まれても鄭道伝が潔く出てきて、「協力してくれれば命を助ける」と太宗から声をかけられても、きっぱり拒否して堂々と死んでいった。そのシーンには「鄭道伝ほど朝鮮王朝に貢献した人物はいなかった」というナレーションまで付いている。それほど、鄭道伝の名誉を守り切る描き方だった。
多くの人は『龍の涙』こそが真実に近いと感じたのではないだろうか。さらに、KBSでは大河ドラマ『鄭道傳』を制作して、彼を立派な人物として描いていた。「朝鮮王朝実録」は争いに勝った側が意図的に自分たちに都合がいいように書いた可能性がとても高いのだ。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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