テレビ東京の韓流プレミアで放送中の『イ・サン』では、6月9日の第18話でキム・ヨジンが演じる貞純(チョンスン)王后が、イ・ソジンが扮する世孫(セソン)に徹底的に歯向かっていた。これは史実でもそうだったのだろうか。貞純王后の人物像について見てみよう。
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英祖(ヨンジョ)の最初の妻は貞聖(チョンソン)王后であったが、この女性は1757年に亡くなっている。それから2年後の1759年に英祖は新しい妻を迎えた。それが14歳であった貞純王后だった。
英祖は65歳になっていたので、なんと年齢差は51歳もあった。夫婦というよりは祖父と孫娘のような年齢差だ。それも仕方がない。朝鮮王朝の国王の場合、王妃が亡くなって新しい妻を迎える時は10代の娘にするということが慣例になっていたからだ。
こうして、わずか14歳で英祖の妻となった貞純王后。思悼世子(サドセジャ)の餓死事件が起こったのはそれから3年後のことであり、貞純王后は17歳になっていた。
17歳に何ができるのか、と思うのは現代的な感覚である。18世紀の当時では17歳は立派な成人であり、王妃として王宮で影響力を発揮することは十分に可能だった。しかも貞純王后の実家は老論派の根城であり、老論派の敵であった思悼世子を何とかしなければいけない立場でもあった。それゆえ、貞純王后は英祖に対して「思悼世子の良からぬ素行」を大げさに伝える役割を果たしたのだ。
実年齢でみると、思悼世子は貞純王后より10歳も年上であった。しかし形式上では貞純王后が母親である。そんな立場で貞純王后は「息子」の思悼世子を陥れたのだ。
その事情は思悼世子の息子のイ・サンについても同様だった。貞純王后は世孫(セソン)の即位を阻まなければならなかった。もし世孫が国王になったら絶対に仕返しをされるからだ。それゆえ、老人派の代表として暗躍したのである
そんな貞純王后は時代劇『イ・サン』においても一番の黒幕として登場する。本当に恐ろしい女性だったのだ。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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