ダメな国王と言われた中宗が意外に貢献した「国家の一大事」

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朝鮮王朝の11代王・中宗(チュンジョン)というのは、韓国時代劇から見たら、本当に「不思議な国王」である。彼は、国王としてはたいした業績がなく、むしろ失政が多かった。

そんな「冴えない」国王なのだが、韓国時代劇にはとても多く出てくる。題名を挙げれば、『宮廷女官 チャングムの誓い』『七日の王妃』『師任堂(サイムダン) 色の日記』といった重要なドラマに中宗が出てくる。その理由は何なのか。

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つまりは、中宗が統治時代に実在した著名人があまりに多かったからなのだ。それで、主人公を描くときに当時の国王として中宗が頻繁に登場するという結果になった。

そんな中宗の人物像を調べていくと、興味深い事実が出てくる。それは、子供の数がとても多かったということだ。

中宗は三度結婚している。最初の端敬(タンギョン)王后は廃妃にされていて、二番目の章敬(チャンギョン)王后は王子を出産後に亡くなってしまい、三番目が悪女で名高い文定(ムンジョン)王后だった。この3人の王妃が産んだ子供は果たして何人であっただろうか。

『七日の王妃』で中宗を演じたヨン・ウジン(写真=KBS『7日の王妃』ポスター)

中宗が生きていた16世紀

実は、端敬王后は子供がおらず、章敬王后は一男一女、文定王后は一男四女だった。合計すると、王妃が産んだ子供は、王子が2人で王女が5人だった。

それでは、中宗の場合、側室は何人の子供を産んでいるのだろうか。

記録に残っている側室は、全部で9人だった。

この9人という側室の数は、中宗が生きていた16世紀の朝鮮王朝では平均的だった。17世紀以降になると、側室の数はグッと減ってくるのだが、16世紀なら国王の側室は10人ほどいるのが普通だったのである。

そうした中宗の側室が産んだ子供の数は合計で13人だ。王子が7人で王女が6人であった。

この13人の中で、後に大変な重要人物になる王子がいた。それが、昌嬪・安氏(チャンビン・アンシ)が産んだ徳興君(トックングン)である。

彼の何が重要なのか。

それは、徳興君が14代王・宣祖(ソンジョ)の父親になったからだ。

実は、12代王・仁宗(インジョン)と13代王・明宗(ミョンジョン)は共に中宗の息子だが、2人とも息子がいなかった。それで、明宗が亡くなったときに後継者がいなくなり、王朝は重大な危機に陥った。その結果、側室から産まれた徳興君の息子が選ばれて宣祖になったのである。

このように、中宗は自分の死後、2人の息子と1人の孫を国王にしている。王朝の後継者問題では、大いに貢献した国王なのだ。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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