とても人気が高い『七日の王妃』というドラマは、主人公のパク・ミニョンが扮した端敬(タンギョン)王后がメインになっているが、イ・ドンゴンが演じる燕山君(ヨンサングン)とヨン・ウジンが扮する晋城(チンソン)大君も、本当に複雑な兄弟関係として描かれていた。この兄弟にスポットを当てて史実を説明してみよう。
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10代王の燕山君は、悪政を続けた暴君であった。あまりに多くの怨みを買いすぎたので、1506年に高官たちによってクーデターを起こされてしまった。そして、クーデター軍の一部は、燕山君の異母弟の晋城大君の屋敷に向かった。晋城大君に次の王になってもらうためであった。
しかし、事前に何も知らされていなかった晋城大君は、クーデター軍に囲まれて驚愕した。彼は、燕山君が自分を殺しに来たと勘違いしたのだ。ようやく誤解が解けて、晋城大君は胸をなでおろしたが、次の国王にはなりたくないと駄々をこねた。
本当に、晋城大君は気が弱すぎる王子であった。
一方、クーデター軍が王宮に侵入したのを知って燕山君は激しく震えた。しかも、側近たちはこぞって王宮から逃げ出してしまった。これでは、王を守る人はいなくなる。クーデターはあっさりと成功してしまった。
こうして、晋城大君は11代王の中宗(チュンジョン)になった。
廃位となった燕山君は流罪先の江華島(カンファド)で隔離されたが、わずか2カ月で死んでしまった。あまりに急すぎる死亡だったので、「毒殺されたのでは?」という疑惑が残った。この事件はいまだに真相が不明である。
兄に代わって王になった中宗は、長く政治を担っていった。なにしろ、1544年までの長期政権になったのである。しかし、中宗は凡庸な王であった。統治期間が長いだけで、さしたる業績を残せないままだった。ドラマでは名君として描かれることが多い中宗だが、史実では見栄えがしない王であった。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
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