『チャングム』で立派に描かれた中宗だが実はダメな国王だった!

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傑作時代劇の『宮廷女官 チャングムの誓い』では、イム・ホという「時代劇の常連俳優」が11代王の中宗(チュンジョン)を演じていた。

このドラマで中宗は、いかにも立派な国王として登場していた。チャングムのことをよく理解し、政治においても正しい判断をしていた。

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しかし、史実ではどんな国王だったのだろうか。

実は、歴史上で言えば、中宗は優柔不断な国王だった。もっとハッキリ言えば、まったくダメな国王だった。その根拠を挙げてみよう。

ドラマ『チャングム』ではイム・ホが演じた中宗

1506年に暴君の燕山君(ヨンサングン)がクーデターで廃位となり、その異母弟が新しい国王になった。それが中宗である。

けれど、彼はクーデターを成功させた高官たちにかつがれて国王になったので、高官たちに頭があがらなかった。結果的に、自立性が乏しかった。

端敬王后を廃妃にした理由

象徴的なのが、高官たちが中宗に対して「妻の端敬(タンギョン)王妃を離縁してください」と要求したときだ。なぜ、高官たちはそんな無謀なことを言ったのか。それは、端敬王后は燕山君の妻の姪であり、父親も燕山君の側近だったのだ。このように、端敬王后の親戚には燕山君と関係が深い人が多かった。それで、端敬王后は高官たちに敬遠されてしまったのだ。

しかし、中宗は国王なのだから、臣下が何を要求しても拒絶すればよかった。それなのに、中宗は気が弱すぎて、最後は端敬王后の廃妃に同意してしまった。こうして端敬王后は実家に帰された。

中宗はメソメソするばかりで、王宮の高い場所に立ち端敬王后が住むあたりを見ては嘆いていた。その噂が都に広がり、端敬王后は住まいの裏の岩山にかつて自分がよく着ていた赤いチマ(スカート)を干した。「私はここで元気に暮らしています」と伝えることが目的だった。これは「赤いチマ岩の伝説」と呼ばれ、夫婦愛を示す美談になった。

でも、もとはといえば、中宗が夫としてだらしなかったので端敬王后は離縁させられた。要するに、「赤いチマ岩の伝説」は中宗がダメな国王だから起こってしまったのだ。このように、中宗は『宮廷女官 チャングムの誓い』で描かれたような立派な国王ではなかったと言える。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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