【時代劇『哲仁王后』の功罪】愚鈍で無学の哲宗を優秀な学問好きに変えたのはアリ?

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朝鮮王朝に27人いる国王の中で、最も変わった経歴から国王になったのが25代王・哲宗(チョルジョン)だった。何が変わっていたのか。それは、田舎の無学な青年だったのに突然指名されて国王になったからだ。その経歴には本当に驚かされる。

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ことの始まりは、24代王・憲宗(ホンジョン)の急死だった。彼には後継ぎの息子がおらず、6親等以内の王族男子もいなかった。

当時、絶大な権力を握っていた純元(スヌォン)王后(憲宗の祖母)は、一族の利権を守るために仰天するような人事を断行した。江華島(カンファド)で農業をしていた元範(ウォンボム)という青年を次の国王に指名したのだ。

彼は王族の末端にいたのだが、親族が政争に敗れて処罰された影響で江華島において悲惨な自給生活を強いられていた。学問も積んでいない。無学だったのだ。

そんな教養のない青年が25代王の哲宗として即位した。自分が一番びっくりしたことだろう。彼が純元王后からしきりに強制されたのが「勉強せよ」ということだった。

『哲仁王后~俺がクイーン⁉~』でキム・ジョンヒョンが扮した哲宗は学問好きな性格として描かれていた(写真=© STUDIO DRAGON CORPORATION)

ドラマらしい描き方

本来、王になる人は幼い頃から帝王学を学ぶが、哲宗にはそんな機会もなく、彼は漢字すら読めなかった。そういう青年を国王に指名した純元王后は「殿下は田舎で暮らしていましたので民の苦労がわかるでしょう」と期待したが、それは叶わなかった。哲宗は学問に身を入れず、贅沢三昧で生活が乱れた。

純元王后が1857年に亡くなった後も、哲宗は堕落した生活をやめなかった。その末に1863年に32歳で若死にした。

そんな哲宗であったが、大人気となった『哲仁王后~俺がクイーン⁉~』ではキム・ジョンヒョンが演じており、学問に対する意欲が高い庶民思いの国王として描かれていた。

「史実とあまりに違うのでは?」

そう思わざるをえない。果たして、史実と違う描き方をしてよかったのか。

とはいえ、「ドラマはドラマ」と割り切ってしまえば、『哲仁王后~俺がクイーン⁉~』は本当にストーリーを楽しめた。そういう意味では、ドラマらしい描き方も「あり!」ではないだろうか。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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