『哲仁王后~俺がクイーン⁉~』は、現代の大統領官邸のシェフがプールに落ちて魂が朝鮮王朝時代に乗り移ってしまうという物語だった。しかも、王宮にいた哲仁(チョリン)王后の身体に魂が宿るという展開だったが、ドラマが描いた時期というのは、ズバリ1851年であった。それは、今から171年前のことだ。
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史実で見ると、果たして「1851年」という年は朝鮮王朝にとってどういう年だったのか。『哲仁王后~俺がクイーン⁉~』に関係がある出来事について順次解説していこう。
まず、1851年の9月に、哲仁王后が王妃として冊封(さくほう)されている。つまり、哲宗(チョルジョン)と結婚したばかりの新妻が正式に王妃としての活動を開始したのだ。ドラマではシン・ヘソンが演じたが、哲仁王后は王妃になってもわがままを言わず、喜怒哀楽も出さなかったという。実に慎み深い女性だったのである。
1851年10月になると、『憲宗実録』が発刊されている。憲宗(ホンジョン)は哲宗の前の国王であり、1849年に亡くなっていた。それから2年経ってから憲宗の統治時代の記録が正式にまとめられて『憲宗実録』として『朝鮮王朝実録』の一部になっている。
1851年12月になると、大王大妃(テワンテビ)が行なっていた「垂簾聴政(すいれんちょうせい)」がついに終わり、哲宗によって「親政」が始まっている。
ここは具体的な説明が要るだろう。垂簾聴政は「摂政(せっしょう)」と同じ意味であり、代理人が国王に代わって政治を仕切ることを意味している。垂簾聴政の「垂簾」は「簾(すだれ)を垂(た)らす」こと。国王の後ろか横に簾を垂らして代理人が国王に指図をするのだ。
確かに、『哲仁王后~俺がクイーン⁉~』でもペ・ジョンオクが演じる大王大妃が哲宗にあれこれと指図していた。まさに、ドラマで描いていたことが垂簾聴政だったのだ。しかし、史実ではそれを1851年12月にやめて、いよいよ国王が自ら政治を仕切っていく親政がスタートしたのだった。
実際、『哲仁王后~俺がクイーン⁉~』でもドラマの終盤で哲宗が自ら政治を仕切っていた。
しかし、史実では哲宗が完全に主体的に政治を動かせたわけではない。「親政」とは名ばかりで、結局は哲宗も大王大妃の「操り人形」にならざるを得なかった。そういう意味では、ドラマと違って現実の政治の世界はあまりに悲しいと言わざるをえない。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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