『哲仁王后~俺がクイーン⁉~』でチョ・ヨニが演じていた趙(チョ)大妃(テビ)は、道化師のような性格を持った登場人物だった。
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ペ・ジョンオクが扮した大王大妃(テワンテビ)に対抗するためとはいえ、怪しい巫女(みこ)を呼んで呪詛(じゅそ)を行なったり、大王大妃に強気に歯向かったり……。一歩間違えれば廃妃になってもおかしくない「危ないキャラ」であった。
そんな「キワモノ」扱いの趙大妃であったが、彼女にはとても重要な役割があった。それは、大王大妃を中心とした安東・金氏(アンドン・キムシ)の一族から政治の主導権を奪うことだった。彼女は豊壌・趙氏(プンヤン・チョシ)の一族を再興させる「頼みの綱」でもあったのだ。
なにしろ、両一族は政治権力を争っており、劣勢の豊壌・趙氏は趙大妃が奮闘しなければならなかった。
それは史実に基づいており、趙大妃は『哲仁王后~俺がクイーン⁉~』でも安東・金氏を「目の仇」にして虎視眈々(こしたんたん)と形勢を逆転する機会をうかがっていた。ただのボンクラではなかったのだ。
彼女が歴史上で真価を発揮するのは、1857年に大王大妃が世を去った後だ。彼女は王族女性の最長老となり、豊壌・趙氏の勢力拡大に尽力した。それが実ったのが、1863年に哲宗(チョルジョン)が亡くなったときだ。
当時、哲宗には後継ぎとなる息子がいなかった。そこで、趙大妃は、野心に燃えていたが冴えない王族だった興宣君(フンソングン)の息子を王位に就けるように積極的に動き、興宣君とうまく結託してそれを実現させた。こうして哲宗の後に即位したのが26代王の高宗(コジョン)だった。
それは、まぎれもなく安東・金氏の一族の没落を意味していた。満願をかなえて豊壌・趙氏を王宮の主流派に育て上げた趙大妃は、以後も王朝政治の中枢に位置して抜群の存在感を示した。
ドラマでは「危ないキャラ」にすぎなかったのだが、史実では実に「頼もしいキャラ」にグレードアップしていたのである。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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