【『哲仁王后』の総まとめ】主要キャスト4人の「その後」はどうだったのか

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テレビ東京の韓流プレミアで放送されてきた『哲仁王后~俺がクイーン⁉~』が、10月21日の最終回で終了した。とてもドラマチックなフィナーレとなり、胸をなでおろした視聴者も多かったことだろう。

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そこで気になるのが、主要な登場人物たちの「その後」だ。特に、実在した4人は史実でどうなったのか。1人ずつ紹介しよう。

ドラマは1851年が舞台になっていたが、最後に哲仁(チョリン)王后は妊娠していた。そのまま無事に出産すればよかったのだが、現実はそういかなかった。最初の妊娠は結局のところ流産となったのだ。

その後、哲仁王后は穏やかな生活を送り、再び妊娠した。そして、1858年に男子を産んだ。次代の国王が約束された身分なので大切に育てられたが、生後6カ月で夭逝してしまった。以後は、哲仁王后も再び子供を産むことができなかった。

彼女が亡くなったのは1878年。享年41歳だった。

それぞれの登場人物たちの「その後」が興味深い(写真=© STUDIO DRAGON CORPORATION)

現実はドラマのようにいかない

次に、哲宗(チョルジョン)について。

ドラマの最後で哲宗は「民衆のために善政を行なう名君」にまで祭り上げられていたが、現実は厳しかった。

彼は大王大妃(テワンテビ)の「操り人形」という屈辱的な立場を脱することができず、不本意な国王であり続けた。ただし、貧しい人々を救済する政策の実現をめざす「人間的な良心」を持っていた。それが救いである。

それでも、酒の飲みすぎがたたって体調を崩し、1863年に31歳で亡くなった。

次は大王大妃である。

ドラマの最後で離宮に幽閉された大王大妃だが、現実は相変わらず絶大な権力を握っていて、女帝のようにふるまった。

彼女は出身一族の安東・金氏(アンドン・キムシ)の権力掌握だけを願い続け、哲宗を無能と決めつけて王権をないがしろにした。そうやって地位を保ったまま、大王大妃は1857年に68歳で亡くなっている。

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© STUDIO DRAGON CORPORATION

最後は趙(チョ)大妃だ。彼女もドラマの終わりで離宮に幽閉されていた。しかし、現実の彼女は実にたくましい女性であり、史実で大王大妃が亡くなったあとは安東・金氏の一族を没落させて、自分の出身一族の豊壌・趙氏(プンヤン・チョシ)に権力をもたらした。

さらに、1863年に哲宗が亡くなったときに、次の国王に高宗(コジョン)を選んで影響力を誇示した。まさに、立派なキングメーカーであった。

以上、『哲仁王后~俺がクイーン⁉~』の主要キャスト4人の「その後」を紹介した。現実はドラマのようにいかないが、それぞれの実在の人物が激動の時代に必死に生きていたことは事実であった。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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