【『哲仁王后』主要キャラの「その後」】女帝を気取った大王大妃の晩年はどうだったのか

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傑作時代劇の『哲仁王后~俺がクイーン⁉~』では、ペ・ジョンオクが演じた大王大妃(テワンテビ)が強烈な個性を持っていた。

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シン・ヘソンが扮する哲仁(チョリン)王后に最初は優しく接していたが、後半からは鬼のように厳しくなって女帝としてふるまっていた。

この大王大妃は正式には純元(スヌォン)王后のことで、1789年に生まれた。23代王・純祖(スンジョ)の正室となり、以後は王宮の主のように権勢を誇った。その結果、彼女の実家である安東・金氏(アンドン・キムシ)の一族は王朝政治の主導権を握った。

それ以後も大王大妃は反対勢力を駆逐して政権を守った。そして、『哲仁王后~俺がクイーン⁉~』が描いている時代背景は1851年であり、そのとき大王大妃は62歳だった。

自分の操り人形として哲宗(チョルジョン)を即位させて、その妻として安東・金氏の娘を迎えた。それが、哲仁王后なのだが、ドラマでは大王大妃と哲仁王后の仲が悪くなってしまうが、史実では両者の仲は良かった。というより、大王大妃は哲仁王后の父親を重用して彼に多くの権限を与えている。

『哲仁王后~俺がクイーン⁉~』ではペ・ジョンオクが大王大妃を演じた(写真=© STUDIO DRAGON CORPORATION)

自分の思い通りに生きた王妃

この父親は金汶根(キム・ムングン)と言い、『哲仁王后~俺がクイーン⁉~』ではチョン・ベスが演じていて腹黒い人間として描かれている。歴史的にも金汶根は王妃の父親という立場を利用して重職を兼ねたが、一族の繁栄だけを考えた利権政治の亡者であった。決して民衆のためには働かなかったのだ。

それでも、安東・金氏の一族は相変わらず栄えたので、大王大妃としては本望であった。

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© STUDIO DRAGON CORPORATION

彼女は次第に政治の表舞台から退き、安寧に余生を過ごした。

それでも、「ここぞ!」という政治の重大な局面では裏から影響力を発揮した。そういう意味では晩年も権力を手放さなかった。
そして、1857年に68歳で亡くなっている。

都にあった仁陵で大王大妃は夫の純祖と一緒に合葬されている。

最期まで自分の思い通りに生きた「コワモテの王妃」であった。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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