韓ドラになった歴史人/『帝王の娘 スベクヒャン』の武寧王は実在したのか

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大河ドラマ『帝王の娘 スベクヒャン』では、イ・ジェリョンが演じる隆(ユン)が、武寧王(ムリョンワン)として即位し、その後は善政を行っていく。本当に立派な国王として描かれていた。史実において武寧王はどういう人物だったのだろうか。

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501年に百済(ペクチェ)の25代王として39歳で即位した武寧王。彼は卓越した戦略眼を持っていて、衰退していた国力を立て直し、再び百済を強国へと導いていった。

そういう意味では、民衆が心から信頼できる名君であったと言える。実際、宿敵・高句麗(コグリョ)に対して、劣勢であった情勢を冷静な判断と果断な行動で覆したのである。

また、『三国史書』は、武寧王の姿を「絵のように容貌が美しかった」と記している。現代風に言えば、まさに端正な顔立ちの人物であったということだ。『帝王の娘 スベクヒャン』では、イ・ジェリョンが重厚な雰囲気で武寧王を演じていたが、その風格は史実の国王の姿と重なるものがあった。

さらに、『三国史書』によれば、武寧王は「情が深く寛大であった」と伝わる。彼は怒りよりも慈悲を選び、民衆を思いやる心で常に統治した。人々から慕われ、その温かい人柄は広く語り継がれている。

武寧王(ムリョンワン)
イ・ジェリョンが演じた武寧王(画像=©2013-2014MBC)

百済を黄金期へと押し上げた名君

名君としての逸話も多い。506年の春、百済を疫病と旱魃が襲い、人々は飢えに苦しんだ。武寧王はただちに穀物を配給して庶民を救い、飢餓の地を希望で満たした。510年には堤防を築いて水害を防ぎ、困っている者を農村へ戻して耕作を奨励した。その姿は、国を思う父のようであった。

彼の治世はまさに善政の連続であり、高句麗への防衛でも成果をあげた。剛毅でありながらも柔らかい慈愛を持つその統治姿勢は、後世に「民を救って国を守った王」として称えられている。

以上のように、武寧王は、政治・軍事・人徳のすべてにおいて卓越した人物であった。彼こそ、百済を黄金期へと押し上げた真の名君であり、その輝きは千年以上の時を経た今もなお、静かに歴史に光を放ち続けている。

【武寧王の人物データ】

462年~523年

主な登場作品()内は演じている女優
『帝王の娘 スベクヒャン』(イ・ジェリョン)

文=大地 康

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