実在した記録もないスベクヒャン、武寧王は『日本書紀』にも登場する?

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ドラマ『帝王の娘スベクヒャン』では、武寧王(ムニョンワン)の隠し子という設定となっているスベクヒャン。

異父妹ソルヒの企みにより王女の地位を奪われるも、父親に対する想いと祖国愛を心に、百済(ペクチェ)の諜報組織“ピムン”を導いていく。

ある時は敵の剣に立ち向かう刺客として、またある時は弱気な敵国の王に身を捧げる官女たちの唯一の友となり、百済のために力を尽くした女性。それがドラマで描かれているペクスヒャンだが……。

彼女が百済の王女だったという記録は残っておらず、“ピムン”という諜報組織が存在した記録もない。それらはあくまでもフィクションだ。

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ただ、武寧王は実在し、百済の中興をもらした王として記録されている。

歴史書『三国史記』によれば462年に生まれた武寧王は、先代の東城王(トンソンワン)が暗殺されると、501年に百済の第25代王として即位。

当時の百済は高句麗(コグリョ)の侵攻を受けていたが、512年には高句麗に壊滅的な打撃を与えて百済を再興させたと言われている。

また、武寧王は513年と516年に日本に使者も送っており、その名は『日本書紀』にも登場する。523年に死去するが、後を継いだ息子の聖王(ソンワン)は525年に現在の公州(コンジュ)・宋山里(ソンサンリ)に武寧王陵を築造させた。

その武寧王陵が1971年に発掘され、そこが王墓であることが特定されている。

百済の王がつけていたとれさる金の冠装飾(写真=国立公州博物館)

墳墓からは金環の耳飾り、金箔を施した枕・足乗せ、冠飾などの金細工製品、中国から舶載した銅鏡、陶磁器などが発見され、それらは百済の国家像や生活の様子、中国との文化交流などを物語ってくれる貴重な歴史史料となっている。

(構成=韓ドラ時代劇.com編集部)

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