『帝王の娘 スベクヒャン』の序盤では、イ・ジェリョンが演じる隆(ユン)が、武寧王(ムリョンワン)として即位した後に善政を行なっていく過程が詳しく描かれている。
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しかし、史実とドラマで大きく違っている。それは、武寧王の出自に関することだ。
ドラマで隆は、百済(ペクチェ)の24代王・東城王(トンソンワン)の「いとこ」ということになっていた。その東城王はチョン・チャンが演じていた。
東城王は加林(カリム)城をまかされていたペク・カ(アン・ソクファン)によって暗殺されてしまう。そのことに激怒した隆はペク・カを自害させて、自ら武寧王として即位していくのである。
しかし、古代の歴史に関して信憑性が高い『三国史書』によると、隆は東城王の二男だという。『帝王の娘 スベクヒャン』で隆は東城王の「いとこ」だったのに、史実では「息子」だったのだ。
なぜ「息子」をドラマでは「いとこ」にしたのか。
『帝王の娘 スベクヒャン』では、東城王と武寧王のそれぞれの幼い息子を入れ替えるというところが序盤の鍵になっていた。そういう設定にするために、あえて「息子」を「いとこ」に変える必要があったのだ。
まさに、大胆な変更だと言える。
とはいえ、ペク・カが東城王を暗殺したことは『三国史書』でも書かれており、その仇を武寧王がしっかり討っている。
こうして501年に即位した武寧王。国王になったときは39歳であった。
彼は卓越した戦略家でもあり、ライバルの高句麗(コグリョ)に対して劣勢だった国力を見事に立て直し、百済を強い国に導いていった。
そんな武寧王は、『三国史書』の記述によると、「絵のように容貌が美しかった」という。現代風に言えば、ドラマの主人公を立派に務められるほどのイケメンだったということだ。『帝王の娘 スベクヒャン』ではイ・ジェリョンが重厚な雰囲気で武寧王を演じていたが、史実でも国王の威厳にふさわしい大人物だったことは間違いない。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
■『スベクヒャン』の序盤はどれほど波乱万丈な展開になっていたか
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