韓国時代劇でよく描かれてきた朝鮮王朝の悪女たち。背筋が凍るような悪行に手を染めた悪女たちが多いのだが、今回はランキング形式で10人の悪女を選んでみた。彼女たちは果たしてどんなことを仕出かしたのか。そして、なぜ悪評を受けることになったのか。10位から順に見ていこう。
【写真】韓国史で「最も美しかった王女」と「一番金持ちだった王女」は誰なのか
英祖(ヨンジョ)の娘であった和緩(ファワン)王女は、兄の思悼(サド)世子が餓死する際に暗躍した疑いが強い。それほど、兄と妹は仲が悪かったのだ。
張禧嬪(チャン・ヒビン)は、19代王・粛宗(スクチョン)の側室から王妃に昇格し、後に側室に降格となった。最後は仁顕(イニョン)王后を呪い殺す儀式をしたと告発されて死罪となった。
9代王・成宗(ソンジョン)の側室から王妃になった尹氏(ユンシ)は、側室を殺そうとしたり、国王の顔を激しく引っかいたりして、悪評が絶えなかった。結局、廃妃にされて死罪となった。
15代王・光海君(クァンヘグン)を裏で支えていた金介屎(キム・ゲシ)は、国王の兄弟や対抗勢力の高官たちを次々に死に至らしめた。最後は斬首された。
文定(ムンジョン)王后の手先として数多くの悪行に手を染めた鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)。私利私欲で次々に殺人を行なったが、文定王后が死んだ後に自害した。
10代王・燕山君(ヨンサングン)の側室だった張緑水は、暴君と一緒に贅沢三昧の生活に溺れ、王朝の財政を破産状態にした。燕山君が廃位になった後に斬首されてしまった。
純祖(スンジョ)の正妻だった純元(スヌォン)王后は、実家の安東(アンドン)・金氏(キムシ)の一族に政治権力を独占させ、王朝が腐敗する原因を作った。
英祖(ヨンジョ)の二番目の正妻だった貞純(チョンスン)王后は、思悼世子の餓死事件にも関与し、正祖(チョンジョ)の政敵として暗躍した。数々の虐殺事件も起こしている。
仁祖(インジョ)の側室だった貴人(キイン)・趙氏(チョシ)は、昭顕(ソヒョン)世子を毒殺した張本人だと見られている。あまりに性格が悪く、悪行で王朝を大混乱させた。
中宗(チュンジョン)の三番目の正妻だった文定(ムンジョン)王后は、継子だった仁宗(インジョン)を毒殺した疑いが濃い女性だ。摂政を行なったときは、多くの民衆を見殺しにした最悪の女帝だった。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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