【韓ドラになった歴史人】「絶世の美女」と絶賛された王女の悲しみとは何か

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敬恵(キョンヘ)王女といえば、ドラマ『王女の男』(2011年)で、ホン・スヒョンが演じてその境遇が詳しく描かれていた。朝鮮王朝一の美貌を誇った彼女がどんな人生を歩んだのかを見てみよう。

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1435年に生まれた敬恵王女の父親は1450年に即位した5代王・文定(ムンジョン)である。このとき敬恵王女は15歳だった。

病弱で床に伏せることが多かった文宗は1452年に世を去り、敬恵王女の弟が11歳で6代王・端宗(タンジョン)として即位したが、1453年にクーデターを起こした首陽大君(スヤンデグン)が端宗から王の座を奪ってしまう。

こうして、1455年に首陽大君は7代王・世祖(セジョ)となり、敬恵王女の夫である鄭悰を全羅道(チョルラド)の光州(クァンジュ)に流罪にしただけでなく、弟の端宗を流罪にしたうえで死罪にしたのである。

そのことを深く悲しんで世祖を憎んだ敬恵王女だが、妊娠していたため、お腹の子供のためにもずっと悲しんでいるわけにはいかなかった。

無事に男の子を出産した敬恵王女だが、内官から世祖が「男なら殺せ」、貞熹王后が「男なら私のもとへ連れてきてほしい」と言っていたと聞かされた彼女は、息子の命を守る決断をして貞熹王后に預けた。

敬恵王女
『王女の男』ではホン・スヒョンが敬恵公主に扮した

美しき王女の人生

そんな辛い経験をした敬恵王女をさらなる悲劇が襲う。夫の鄭悰が世祖に対抗する勢力と接触していたため、一番残酷な方法で処刑されてしまったのである

それにより、最下層の身分である奴婢に落とされてしまった敬恵王女は、「恥をかくくらいなら」と思って自ら命を絶とうとした。しかし、それはできなかった。なぜなら、彼女のお腹には新たな命が宿っていたからだ。

お腹の子を守るために自尊心を失うことなく生きた彼女は、無事に娘を出産した。

一方、敬恵王女の息子は貞熹王后によって育てられていたが、その存在を知って世祖は怒るどころか眉寿(ミス)という名前まで付けて可愛がった。

その結果、世祖は敬恵王女の身分を回復して立派な屋敷まで用意したが、敬恵王女は尼となり、4年後に還俗(げんぞく/僧侶となった者が、僧侶であることを捨てて俗人に戻ること)している。

1468年に世祖が世を去ると、高官たちが「敬恵王女の子供を処罰しろ」と言い始めたが、貞熹王后により敬恵王女の子供の命は守られたのである。

その後、安寧に過ごした敬恵王女は、1473年に38歳で世を去った。壮絶な悲しみを味わった人世を歩んだ敬恵王女だが、そんな彼女の死を多くの人が悼んだ。

【敬恵王女の人物データ】

生没年
1435年~1473年

主な登場作品()内は演じている女優
『王と妃』(キム・ミジュ)
『王女の男』(ホン・スヒョン)

文=康 大地(コウ ダイチ)

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