【歴史コラム】若き国王イ・サンはどのようにして改革の風を巻き起こしたのか

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テレビ東京で放送しているドラマ『イ・サン』も後半の国王編に入っている。そこで、22代王となったイ・サンの即位直後の政治改革を史実に基づいて解説しよう。

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英祖(ヨンジョ)という歴代最長在位の国王が世を去り、1776年にイ・サンが満を持して国王となった。24歳の彼は、政治の舞台世界が老論派に支配されていることを憂慮し、深い改革の必要性を切実に感じた。

「党争に明け暮れているうちに王朝が崩壊してしまう」

そのような緊迫した危機感を持つイ・サンは、大胆な改革へと足を踏み出した。彼が目指したのは、党争から距離を置いた勢力を育成することであり、そのための新たな基盤として整備したのが奎章閣(キュジャンガク)だった。

この奎章閣は、表面上は「王室の図書館」という形で存在していた。各種の貴重な図書を所蔵し、重要な書籍の編集を行う場でもあった。実はこの装いが、老論派の者たちの目を真実からそらす役割を果たしていた。

ドラマ『イ・サン』ではイ・ソジンがイ・サンを演じた

予想以上の能力を発揮

実際、イ・サンは奎章閣を通して、どの派閥の色にも染まっていない有能な若者たちを次から次へと集めていた。結果として、100人以上の官僚や学者が集うようになった。

象徴的なのは、イ・サンが自ら社会の身分の障壁を超えようと努力したことである。身分が低いという理由や庶子であることがネックとなって重用されなかった若者たちが多かったが、彼らは奎章閣に採用されて思う存分に力を発揮していった。これこそがイ・サンが目指した改革の一環であった。

それまでの朝鮮王朝は、旧態依然とした身分制度を厳格に守りすぎていた。そのために、優秀な人材を生かせていなかったのだ。イ・サンはその問題を解決すべく、奎章閣をその実験場と位置づけたのである。

結果は、イ・サンの思惑通りに進んだ。身分が低いとはいえ、重い責任を与えられた若者たちは、予想以上の能力を発揮した。その実績を感じ取ったイ・サンは、奎章閣の機能をさらに強化し、そこを中心として国政の多くの改革を推進していった。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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