『ヘチ 王座への道』でも、景宗(キョンジョン)とヨニングンの関係が詳しく描かれている。史実では、2人はどういう兄弟関係だったのだろうか。
1721年以降、国王の後継者として世弟(セジェ)になったヨニングンだが、当時の官僚体制を築いていたのは、景宗を支えていた少論派であり、対抗勢力の老論派は徹底的に抑えつけられて影が薄かった。完全に少論派の天下だったのである。
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そして、この少論派がヨニングンを敵視していたので、ヨニングンは世弟の立場を維持するのも難しかった。
何かあると難題をつきつけられて、ヨニングンは少論派からあげ足を取られて窮地に陥っていた。それでも、ヨニングンには救いがあった。それは、異母兄の景宗の優しさだった。
間違いなく、景宗には兄弟愛があった。
景宗とヨニングンの場合、母親同士は非常に仲が悪かった。その影響で息子二人も最悪の関係になっても不思議はないのに、実は兄弟は仲が良かったのだ。少なくとも、兄の景宗は、弟思いだった。
そうした優しさのおかげで、ヨニングンは少論派の糾弾で命を奪われそうになったときも、なんとか謹慎生活で事態をおさめることができるようになった。
彼にしてみれば、「すばらしい兄を持ってうれしい」という心境だったことだろう。
ドラマの『ヘチ 王座への道』では、景宗のことを意志が弱い優柔不断な国王として描いているが、史実における景宗は、「強い国王ではなかったが暗愚でもなく、真面目な人物だった」という評価が定着している。
ということは、『ヘチ 王座への道』に出てくる景宗は歴史上の人物像よりイメージダウンの様相を呈している。それも、ヨニングンを主役にしているドラマなので仕方がないのだろうが。
その景宗は、結局は在位が4年2カ月で亡くなった。それは、1724年8月25日のことだった。「朝鮮王朝実録」は「殿下は天性と言えるほど慈しみにあふれ、人徳があった」と記している。
ここまで愛情たっぷりに記述されたのも、やはり景宗の人柄が良かったからだろう。
ヨニングンが本当にいい兄を持ったことは間違いない。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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