謎のまま消えた『七日の王妃』は史実ではその後どうしていたか?

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時代劇の『七日の王妃』では、11代王・中宗(チュンジョン)をヨン・ウジンが演じて、端敬(タンギョン)王后をパク・ミニョンが扮した。さらに、10代王・燕山君(ヨンサングン)はイ・ドンゴンが演じきっていて、3人の熱演のおかげで、本当に面白いドラマに仕上がっていた。

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このドラマを通して、端敬王后がとても注目を集めた。パク・ミニョンが本当に美しく演じていたが、彼女の生涯はドラマとはかなり違っている。そこで、史実を通して端敬王后を見ていこう。

燕山君は、1506年にクーデターで王宮を追われて廃位となった。それにともなって、新しい王になったのが異母弟の中宗だった。こうして妻の端敬王后は王妃になったのだが、わずか7日間だけで廃妃になってしまった。

ドラマ『七日の王妃』ではパク・ミニョンが端敬王后を演じた(写真=KBS『七日の王妃』韓国ポスター)

51年の歳月

問題となったのが、端敬王后の父親が燕山君の側近で、燕山君の妻が端敬王后の叔母だったことだ。つまり、端敬王后の親族は燕山君とあまりに関係が深すぎた。それによって、クーデターを成就させた高官たちが端敬王后の廃妃を主張し、中宗もそれを断ることができなかった。結局、端敬王后は王妃になって7日で王宮から出されてしまった。

以後の端敬王后は一時は行方がわからなかった。かつての王妃としては、あまりにも惨めな境遇となってしまった。

時は流れて、中宗は即位した38年後の1544年に危篤になってしまった。そのときのことが、朝鮮王朝の正式な歴史書となっている「朝鮮王朝実録」に書かれている。なんと、端敬王后は王宮の正門に駆け付けて中宗に会うことを望んだという。彼女もかつての夫を見舞うことを願ったのであった。しかし、無情にも、端敬王后は王宮の中に入ることを許されなかった。つまり、中宗には会えなかったのだ。その直後に中宗は亡くなっている。こうして、1506年以来、2人は一度も会えなかった。

端敬王后が世を去ったのは1557年だ。享年70歳だったが、廃妃になってから51年の歳月が流れていた。あまりに長い51年であった。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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