【韓ドラになった歴史人】人気4作品に登場する“暴君の父”成宗(ソンジョン)

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朝鮮王朝第9代王・成宗(ソンジョン)は、『王と妃』ではイ・ジヌ、『王と私』ではコ・ジュウォン、『インス大妃』ではペク・ソンヒョン、『七日の王妃』ではキム・ジョンハクが演じた国王だ。

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1469年に成宗は12歳で即位した。しかし、成人するまでの間、王政は貞熹(チョンヒ)王后が行っていた。彼女は成宗の祖父である7代王・世祖(セジョ)の妻だった。未成年の成宗は政治に関わろうとせず、日夜勉学に励み高い教養を身に付けていった。

1476年、成人した成宗は、ようやく親政を開始した。彼が真っ先に行ったのは、早くして亡くなった父を王として追尊することだった。この行為は成宗の孝行心を広く伝える結果になった。

さらに成宗は、好き勝手に振る舞う貞熹王后の取り巻きから権力を取りあげようとした。成宗は若い士林派(儒教を尊び学問に秀でた者)を重用し、才能ある者には積極的に役職を与えていった。そうすることで、貞熹王后の影響力を弱めることが可能になった。

政治的なバランスを取った成宗は、その後、仏教をさらに抑圧し、儒教の発展に力を注いだ。結果的に、全国のほとんどの仏教寺院が町中から追放された。そのうえで、成宗は儒教学者たちの討論の場を活性化させ、学問と教育を一層推進した。

『王と私』
『王と私』でコ・ジュウォンが演じた成宗(写真=韓国SBS)

政治的なバランスを取った国王

また、成宗は辺境の地の平定にも力を入れた。結果的に、成宗の治世時代には大きな動乱もなく、庶民は彼を名君と讃えた。そんな成宗も女性関係では大きな問題を残した。それが尹氏(ユンシ)の廃妃事件だ。

最初の妻を病で失った成宗は、以前から気に入っていた尹氏を王妃として迎えた。彼女は王妃になるとわずか2年で、息子を授かった。この息子こそが後に暴君として悪名をとどろかせた10代王・燕山君(ヨンサングン)である。

次代の王を産むと、尹氏は次第に傲慢になっていき、周りから疎まれてしまった。すると、彼女を嫌った宮女たちは、成宗の母に告げ口した。尹氏と距離を置くように母から言われた成宗は、次第に彼女と会う回数を減らしていった。

そうした扱いに不満だった尹氏は、自分の部屋に呪いの本と毒薬を持ちこんでしまう。それを発見した成宗は、彼女を謹慎処分にした。さらに、尹氏は精神をひどく病み、成宗の顔をひっかいて傷をつけてしまう。結果的に、彼女は廃妃になった。

そうした出来事があったにもかかわらず、成宗は尹氏との間に生まれた子を後継者に指名した。1482年、尹氏は死罪となってしまったが、このことが後に燕山君が残虐な殺戮を行うきっかけになった。

【成宗(ソンジョン)の人物データ】

生没年
1457年~1494年

主な登場作品()内は演じている俳優
『王と妃』(イ・ジヌ)
『王と私』(コ・ジュウォン)
『インス大妃』(ペク・ソンヒョン)
『七日の王妃』(キム・ジョンハク)

文=大地 康

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