朝鮮王朝は518年間続いたが、王妃は42人もいた。国王は27人だったが、妻が亡くなったときに再婚していたからだ。42人の王妃の中で人生を無事に終えた人も多かったが、極端に不幸だったのは、廃妃(ペビ)になった女性だ。自分に非がなくても無惨に王宮から追われてしまうのも、王妃の哀しい運命だった。
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最初の廃妃は、6代王の端宗(タンジョン)の妃である定順(チョンスン)王后だ。彼女は端宗と未来を共に歩むことを運命づけられていたが、王位は残酷な叔父である世祖(セジョ)の手により奪われ、彼女自身も廃妃の道を辿ることとなった。
2人目の廃妃は、9代王の成宗(ソンジョン)の妃であった斉献(チェホン)王后である。彼女は強烈な性格の持ち主で、成宗が気に入った側室を恨んで呪い殺そうと企んだ。また、成宗の顔を激しく引っ掻くなどして王宮から追放され、ついには死罪に問われるという最期となった。
3人目は、燕山君の妃である慎氏(シンシ)である。夫がクーデターによって廃位となった際、彼女もまたその影響を受け、廃妃の道を歩むこととなった。
4人目の廃妃は中宗(チュンジョン)の妃であった端敬(タンギョン)王后だ。彼女の父は燕山君の親しき側近で、叔母は燕山君の妃という事実が重荷となり、燕山君を追放するクーデターを成功に導いた高官たちが端敬王后を強引に廃妃にしようとした。中宗はそれを拒むことができず、結果的に端敬王后は理不尽にも廃妃となることを余儀なくされた。
5人目の廃妃は15代王・光海君(クァンヘグン)の妃である柳氏(ユシ)である。夫のクーデターによる廃位が引き金となり、彼女もまた、王妃の地位から追放されるという運命を辿った。
6人目は、19代王・粛宗(スクチョン)の二番目の妃である仁顕(イニョン)王后である。彼女は、粛宗が張禧嬪(チャン・ヒビン)を寵愛しすぎたことで、廃妃となった。しかし、後に粛宗が張禧嬪に飽きて彼女が側室に降格された後、仁顕王后は再び王妃に返り咲いた。これは、廃妃から王妃に再昇格したのは仁顕王后だけ、という特筆すべき事実を示している。
以上の通り、6人の王妃が廃妃となっているが、自分の責任で廃妃になったのは斉献王后だけだ。他の王妃たちは「時代と国王」の犠牲になったとしか言いようがない。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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