【時代と国王の犠牲者】廃妃となった哀しき王妃たちは果たして誰なのか

2023年07月08日 歴史 #康熙奉コラム #写真
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朝鮮王朝は518年間続いたが、王妃は42人もいた。国王は27人だったが、妻が亡くなったときに再婚していたからだ。42人の王妃の中で人生を無事に終えた人も多かったが、極端に不幸だったのは、廃妃(ペビ)になった女性だ。自分に非がなくても無惨に王宮から追われてしまうのも、王妃の哀しい運命だった。

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最初の廃妃は、6代王の端宗(タンジョン)の妃である定順(チョンスン)王后だ。彼女は端宗と未来を共に歩むことを運命づけられていたが、王位は残酷な叔父である世祖(セジョ)の手により奪われ、彼女自身も廃妃の道を辿ることとなった。

2人目の廃妃は、9代王の成宗(ソンジョン)の妃であった斉献(チェホン)王后である。彼女は強烈な性格の持ち主で、成宗が気に入った側室を恨んで呪い殺そうと企んだ。また、成宗の顔を激しく引っ掻くなどして王宮から追放され、ついには死罪に問われるという最期となった。

3人目は、燕山君の妃である慎氏(シンシ)である。夫がクーデターによって廃位となった際、彼女もまたその影響を受け、廃妃の道を歩むこととなった。

4人目の廃妃は中宗(チュンジョン)の妃であった端敬(タンギョン)王后だ。彼女の父は燕山君の親しき側近で、叔母は燕山君の妃という事実が重荷となり、燕山君を追放するクーデターを成功に導いた高官たちが端敬王后を強引に廃妃にしようとした。中宗はそれを拒むことができず、結果的に端敬王后は理不尽にも廃妃となることを余儀なくされた。

『七日の王妃』でパク・ミニョンが演じた端敬王后は朝鮮王朝で四番目に廃妃になった女性だ(Licensed by KBS Media Ltd. © 2017 KBS. All rights reserved
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王妃の地位から追放される運命

5人目の廃妃は15代王・光海君(クァンヘグン)の妃である柳氏(ユシ)である。夫のクーデターによる廃位が引き金となり、彼女もまた、王妃の地位から追放されるという運命を辿った。

6人目は、19代王・粛宗(スクチョン)の二番目の妃である仁顕(イニョン)王后である。彼女は、粛宗が張禧嬪(チャン・ヒビン)を寵愛しすぎたことで、廃妃となった。しかし、後に粛宗が張禧嬪に飽きて彼女が側室に降格された後、仁顕王后は再び王妃に返り咲いた。これは、廃妃から王妃に再昇格したのは仁顕王后だけ、という特筆すべき事実を示している。

以上の通り、6人の王妃が廃妃となっているが、自分の責任で廃妃になったのは斉献王后だけだ。他の王妃たちは「時代と国王」の犠牲になったとしか言いようがない。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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