【『七日の王妃』の歴史解説】端敬王后が王妃になった瞬間とはいつなのか

このエントリーをはてなブックマークに追加

パク・ミニョンが主演している『七日の王妃』では、ヨン・ウジンが夫のイ・ヨクを演じている。彼は歴史的には晋城大君(チンソンデグン)と呼ばれており、父親が成宗(ソンジョン)で母親が貞顕(チョンヒョン)王后だった。

【写真】『七日の王妃』で好演したパク・ミニョンに次に演じてほしい王妃とは誰なのか

この母親は、1497年に慈順(チャスン)大妃に冊封されたので、『七日の王妃』でも大妃として登場している。

この大妃が歴史の重要事件の当事者になったのは、1506年9月のことだった。燕山君(ヨンサングン)が高官たちの起こしたクーデターで王宮から追放され、晋城大君が次の国王に推挙されたからだ。

晋城大君は高官たちが整列して並んだ王宮に登場し、まずは大妃の教旨が発布されることになった。

その場で、大妃が発言した。

「わが国家は、万世にわたって繫栄していく基礎を築いてきた。不幸なことに今の国王が守るべき道理を失い、民が貧困に窮した。結果、廃位が決まった。晋城大君は仁徳があり、民心も即位を望んでいる。これによって朝廷が危機から脱して安定を取り戻すのだ。これよりうれしいことが他にあるだろうか」

端敬王后が王妃でいられたのは7日だけだった(Licensed by KBS Media Ltd. © 2017 KBS. All rights reserved
ドラマ『七日の王妃』より。DVD好評リリース中・U-NEXTにて見放題配信中)

朝鮮王朝第一の女性

高官たちはひれ伏して教旨を拝聴し、晋城大君が中宗(チュンジョン)として王位にあがった。

中宗は第一声を発した。

「近年、国王が道理を失い、民心が窮していたのに余は救済できなかった。しかし、幸福なことに、文武の臣たちが朝廷と民に対する重責を担い、大妃のご指示を仰ぎ、余が即位することになった」

このように述べて、中宗は国王になったことを内外に示した。

高官たちはこぞって「万歳!」を叫んで中宗の即位を歓迎した。

この瞬間に、中宗の妻も王妃に昇格したのだ。つまり、『七日の王妃』に登場するシン・チェギョンは端敬(タンギョン)王后になったのである。

こうして端敬王后は「国母」と呼ばれる朝鮮王朝第一の女性となった。今で言えば、「ファーストレディ」の名誉であった。

しかし、それはわずか7日間だけだった。

なんと、儚(はかな)い運命であったことか。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

【写真】パク・ミニョンが演じた二大ヒロインは『七日の王妃』と『キム秘書』!?

【関連】『七日の王妃』はどこまでが史実でどこからがフィクションなのか

【関連】『七日の王妃』の主人公2人の結婚問題は史実でどうなっていたのか

前へ

1 / 1

次へ

関連記事


RANKINGアクセスランキング

写真


注目記事