韓国時代劇の中で、朝鮮王朝を舞台にしたドラマでは「科挙」というものが頻繁に出てくるが、この制度が朝鮮半島で行なわれるようになったのは、8世紀の新羅(シルラ)時代からであり、高麗(コリョ)にもしっかり受け継がれていた。
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新羅といえば、現在テレビ東京で放送されているイ・ヨウォンが主演を務める『善徳女王』の舞台となっている国である。
今回、テーマに取り上げた「科挙」とは官僚登用試験のことで、重要性を増したのは朝鮮王朝が建国されてからだ。
たとえ家柄がどんなによくても、科挙に通らなければ官僚として任官されないので、両班(ヤンバン)の師弟たちは、必死になって勉学に励んでいた。
科挙にはいくつかの学科があったが、花形はなんといっても「文科」である。ここが、今で言う超難関学部に相当する。
他には「武科」「雑科」などがあったが、政治の中枢までのぼりつめるのなら「文科」に受からなければならなかった。
科挙は原則的に3年に1回実施された。まずは「初試」と呼ばれた1次試験が各地方で行なわれ、受かった者が2次試験に該当する「覆試」に臨む。問われるのは、中国の古典や儒教(朱子学)の理解度だ。
「覆試」に合格すると、王の御前で「殿試」を受ける。今の就活にたとえれば、希望する会社の最終面接で社長に相対するようなものだ。成績優秀な両班の師弟たちも、王の機嫌を絶対にそこねないように必死だったことだろう。
一応は厳格に行なわれていたように思える科挙も、実は高官の息子が優遇されたり、今でいう裏口入学のようなものが横行したりしたようだ。そんな風潮に憤って、最高学府だった成均館(ソンギュングァン)の高官が、1818年に「科挙の八弊」を告発している。
この場合の「八弊」とは、以下のような不正だ。
・答案用紙をすりかえてしまう
・参考書を試験会場に持ち込む
・カンニングをする
・事前に試験問題を手に入れる
・受験生をすりかえてしまう
・怪しい人物が試験会場にもぐりこむ
・外で書いた答案用紙を提出する
・文を作成するときにおかしな細工をする
この「八弊」を通して科挙に合格して官僚になった人が確実にいたわけであり、そういう人が出世をしたとすれば、政権内部が腐敗していくのも、やはり避けられなかったことだろう。
成均館の高官が科挙の現実に憤ったのも無理はない。
上記の文章を見るだけでもどれだけ「科挙」の試験で不正が多かったかがわかる。そんなことまでして試験の合格したい人が多かったのを見ると、「科挙」の試験がよほど難しかったのではないかと思う。
朝鮮王朝時代に行なわれているイメージの強かった「科挙」の試験が、新羅の時代から行なわれていたのは意外だった。こういった歴史の事実を調べてみるのも面白いものだ。
文=大地 康
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