1701年、朝鮮王朝時代の19代王である粛宗(スクチョン)の側室だった張禧嬪(チャン・ヒビン)は、亡くなった仁顕(イニョン)王后に対して呪詛(じゅそ)を行なったという罪で死罪とされた。この出来事は、ドラマ『トンイ』と史実とでは、描き方がどのように異なるのか。こういう興味深い問いに対して答えてみよう。
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ドラマ『トンイ』の中では、張禧嬪の最期がドラマチックに描かれた。イ・ソヨンが演じる彼女は、息子に切なる思いを寄せていた。彼女の願いは、息子に会いたいという単純なものだったが、それは許されなかった。絶望と無力感に苛まれた張禧嬪は、泣き叫んだ。
そして、ハン・ヒョジュが演じたトンイ(史実では淑嬪〔スクピン〕・崔〔チェ〕氏)を見つけると、すぐに駆け寄り、深い絶望からくり出される絶叫を上げた。
「これから息子を守ってくれるのはあなたしかいない。私があれほど恨んだあなただけなの……」
張禧嬪の声は痛みと悔いで震えていた。トンイは顔をそむけてしまったが、それでも張禧嬪は彼女にすがりつき、息子を託すという悲痛な叫びを上げ続けた。張禧嬪の自尊心は消え、ただ息子の生き延びる道を求めていた。
悲しい運命に導かれ、張禧嬪は自らの命を絶つことになった。その哀れさは視聴者に深い衝撃を与えた。
次に、史実に目を向けてみよう。当時の記録によれば、張禧嬪は最期の瞬間に、「息子にぜひ会わせてください」と粛宗に懇願した。粛宗は最初これを拒否したが、彼女があまりにも切実に願うので、ついに情にほだされ、張禧嬪と息子(後の20代王・景宗〔キョンジョン〕)の最後の対面を許した。
この世の終わりを迎える張禧嬪が13歳の息子と会うと、母親の心に溢れる愛情と悲しみを予想したかもしれない。しかし、予想を裏切る行動が起きた。張禧嬪は息子の下焦(ハチョ/膀胱の上のあたり)を握りしめ、その手を決して離さなかった。その衝撃で息子は意識を失った。
謎めいた行動は、永遠の謎として残された。なぜ、張禧嬪はそのような行動に出たのか。それは、複雑な感情が交錯する中で描かれた彼女の悲劇の最終章である。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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