朝鮮王朝を描いた時代劇を見ていると、表向きは、王を中心とした男性が政治を仕切っているように思える。この場合、権力を持った女性はどのように政治に関与していたのだろうか。
正論から言えば、朝鮮王朝は王を頂点とする中央集権国家だ。そして、王を補佐しているのが、科挙に合格して高官に出世した官僚たちだ。女性はその科挙を受けられないので、政治に関与できない建前になっている。しかし、朝鮮王朝の518年間を見ていると、幼くして王が即位したとき、成人になるまで王族の長老女性たちが政治を代行していた。いわゆる、摂政を行なっていたのだ。
そんな権力を持った王族女性は、政治の最終決定ができるので、女帝のように振る舞うことも可能だった。そんな時代にはことごとく王宮が混乱している。たとえば、特別な一族が利権を独占する偏った政治を行なっていた。そういう意味では、力をもった女傑が朝鮮王朝の歴史をたくさん作っていったということだ。
特に、象徴的な3人を取り上げてみよう。それは、11代王・中宗(チュンジョン)の三番目の正室だった文定王后(ムンジョンワンフ)、21代王・英祖(ヨンジョ)の二番目の正室だった貞純王后(チョンスンワンフ)、そして23代王・純祖(スンジョ)の正室だった純元王后(スヌォンワンフ)である。
この3人は未成年の王の代理として政治を仕切り、まさに女帝のようにふるまった。
その結果、何が起こったのか。
文定王后は、自分の息子を王にするために12代王・仁宗(インジョン)を毒殺している。まさに、悪政の最たる女性だった。
貞純王后はカトリック教徒が多い政敵に対し、大弾圧を行なって数万人を殺害した。
純元王后は政治を私物化して一族の繁栄だけに執着し、国の政治を犠牲にした。
この3人がいなければ、朝鮮王朝はもっと正しくまともな歴史を歩めたかもしれない。まさに彼女たちは、「朝鮮王朝を堕落させた3人の元凶女性」と言うことができる。本当に恐ろしい悪女たちであった。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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