朝鮮王朝の21代王・英祖(ヨンジョ)は、『ヘチ 王座への道』を初めとして韓国時代劇に本当によく出てくる国王だ。それだけに、現代でもその知名度は抜群である。
しかも、英祖は27人の国王の中で一番長寿であったことでよく知られる。なにしろ、80歳を過ぎても生きていた国王は英祖だけなのである。その統治期間は52年に及んだというから、英祖が一番存在感を発揮した国王であったことは確かだ。
そんな英祖は、2人の妻と4人の側室を持った。
ただし、2人の妻は子供を産まなかったので、英祖の子供はみんな側室から生まれている。
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その中で王子は2人だけだ。有名なのは英祖の命令で米びつに閉じ込められて餓死した思悼世子(サドセジャ)で、彼は側室の映嬪・李氏(ヨンビン・イシ)から生まれている。
実は、思悼世子には異母兄がいた。それが先に世子になった孝章(ヒョジャン)なのだが、9歳で病死してしまった。それで二男の思悼世子が国王の後継ぎになったのだが、思悼世子が餓死したあとに英祖には息子がいなかったので、孫のイ・サンが世孫(セソン)になって後に正祖(チョンジョ)として即位した。
とはいえ、英祖は子供が少なかったわけではなかった。確かに、息子は2人だけだったが、娘は7人もいたのである。
王室では、国王の正室から生まれた王女を公主(コンジュ)、側室から生まれた王女を翁主(オンジュ)と呼ぶが、英祖の娘はみんな翁主だった。
その7人は、和順(ファスン)翁主、和平(ファビョン)翁主、和協(ファヒョプ)翁主、和緩(ファワン)翁主、和柔(ファユ)翁主、和寧(ファリョン)翁主、和吉(ファギル)翁主である。
名前だけ見ると、穏やかで麗しい存在であったかのような印象を持つ。実際にも評判がいい王女が多かったが、1人だけ違っていた。それが、思悼世子と同じ母から生まれた和緩翁主であった。
彼女はドラマ『イ・サン』でも悪女として登場するが、思悼世子と不仲であったために兄の素行を父に悪く伝えて餓死事件が起きるきっかけの一つを作っている。
和緩翁主が他の翁主と同じように王女らしくふるまっていたら、もしかして餓死事件は起きなかったかもしれない。
そういう意味で、思悼世子は不吉な妹を持ってしまったのである。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
■【王朝事件簿】父によって餓死したプリンス。国王の逆鱗に触れた理由とは?
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