『ヘチ 王座への道』は、朝鮮王朝の21代王・英祖(ヨンジョ)の若い時期を描いている。特にドラマの後半は、王位を受け継いでいく英祖がどれだけ苦労したかが丹念に描写されていて、英祖という国王の資質が史実に裏付けされるように紹介されていて面白い。
そんなふうに『ヘチ 王座への道』を通して英祖の生き方に焦点があたるのはとても興味深いのだが、今回は英祖の娘について取り上げてみたい。
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その娘というのは、強烈な生き方をした王女なのである。それが、英祖の長女であった和順(ファスン)王女だ。
果たして、彼女はどんな生き方をしたのか。
実は、和順王女は、彼女の夫が急死したあと、断食を行なって、一切の食を断ってしまったのである。それは、夫の後を追って死んでしまおうという意思表示だった。
英祖は和順王女を溺愛していたので、彼女の断食をやめさせようとしたのだが、和順王女は絶対にやめなかった。その挙句に、みるみる衰弱していった。
英祖は重ねて説得したのだが、娘の意思を変えることができず、和順王女は断食から14日目に息を引き取ってしまった。
和順王女はなぜ、夫の後を追おうとしたのだろうか。
実は、儒教精神が濃厚に浸透していた当時、「烈女不事二夫」という生き方が称賛される傾向があった。これは「烈女は二人の夫に事(つか)えず」という意味で、「亡き夫の後を追うのは烈女の証」という風潮があった。儒教的な男尊女卑思想の最たるものなのだが、和順王女はその思想に染まりきっていたのだ。
とはいえ、朝鮮王朝は518年間という長い王朝であったが、数多い王女の中で夫の死亡を後追いした王女というのは、和順王女だけだったと言われている。やはり特殊なケースなのだ。
いずれにしても、周囲から和順王女は最高の形で称賛された。そのように、和順王女の名声が高まるにつれて、当の父親であった英祖は、娘を失った悲しみを深くするばかりであった。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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