韓国時代劇を見ていると、人物の身分を表すときに「両班」(ヤンバン)がよく登場する。この言葉を詳しく説明しよう。
高麗王朝は国教が仏教だったが、朝鮮王朝では儒教に代わった。そのため、朝鮮王朝は典型的な儒教国家であった。
儒教は人間の身分の違いを認める思想がある。それによって、朝鮮王朝では厳格な身分制度が採用された。
王族は別格なので身分制度には入っていない。そして、身分制度のトップが両班であって、いわば貴族階級だった。
その以下を見ると、両班の下が中人(チュンイン)で医者や通訳といった専門職を持つ人たちが該当した。
中人の下が常民(サンミン)である。該当するのは農業、商業、工業に従事する一般庶民であった。当然ながらこの常民が一番人数も多かった。
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常民の下に位置付けられたのが賤民(チョンミン)であり、奴婢(ぬひ)、奴生(キセン)、芸人などが該当していた。
以上のように朝鮮王朝の身分制度は、両班、中人、常民、賤民のように厳格に決められていて、両班が下の者たちに君臨していた。
この両班をもっと具体的に言うと、地主階級で裕福であった。しかも、子供たちを学業に専念させられるので、科挙(官僚の登用試験)に受かる人は両班ばかりだった。
しかし、両班でありながら科挙に受からない息子たちも多い。そういう人間は親のコネで下級官僚に採用されたりしていた。
このようにして、両班は自分たちの特権を利用できる制度を作りあげていた。彼らの支配が朝鮮王朝の隅々まで行き渡ったのだ。
なお、両班の男性たちは成人して妾を持つことが多かった。仮に妾が奴生だったりすると、生まれてくる子供も賤民になった。
なぜなら、両班同士の結婚であれば子供も両班になれるが、相手の女性の身分が低ければ子供もその身分に合わせなければならなかったからだ。
いずれにしても、両班は朝鮮王朝の特権階級として君臨し、横暴な振る舞いで一般庶民から怨まれることが多かった。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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