チャングムら朝鮮王朝の宮女たちの暮らしぶりとその一生とは?

2020年06月30日 歴史 #歴史秘話
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『宮廷女官チャングムの誓い』など、韓ドラ時代劇には欠かせない宮女たち。

朝鮮王朝の宮女たちは、王と王妃が寝起きする部屋であった“至密(チミル)”、裁縫を担当した“針房(チムバン)”、刺繍を担当した“繡房(スバン)”、洗面を担当した“洗手間(セスカン)”、洗濯や掃除を担当した“洗踏房(セタクバン)”、果物を扱う“生果房(センファバン)”、宴会料理などを担当した“外焼厨房(ウェソチュバン)”などに配属させ、それぞれ専門職に従事した。

『チャングムの誓い』でチャングムが属した“水刺間(スラッカン)“は王の膳などを担当する部署で、“内焼厨房(ネソチュバン)”の管轄だった。

宮女は一般的に9歳から13歳の頃に見習いとして働き始め、20歳頃に正式な宮女となる。

宮廷内で暮らすことになる彼女たちは、立場上は全員が「王の女」と見なされていたため、結婚することは許されず、王以外の男性と性的関係を持てば男女ともに斬首刑とされ、妊娠していれば出産100日後に処刑された。

つまり、宮女たちは生涯処女・生涯独身でなければならず恋愛禁止。そのため、宮女たちにはレズビアンが多かったという説もある。

(写真=『宮廷女官チャングムの誓い』)

また、宮女が宮殿内で死ぬことは慣例的に許されず、死を目前にした宮女たちは宮殿を出てひっそりと最期を迎えたという。

この宮女たちの仕事を取り仕切っていたのが尚宮や女官長であるが、『チャングムの誓い』で目を引いたのが、彼女たちの髪型だ。

当時は頭が大きいほどオシャレで、髪型そのものが身分の高さの証明。女官長や尚宮などは、“加髢(カチェ)”と呼ばれたつけ毛や部分カツラの着用が許された。

ハン尚宮やチェ尚宮の髪型は、人毛で作った太い三つ編みの“加髢”をつけたオヨモリと呼ばせる当時のセレブ定番髪型だった。

ただ、“加髢”はその飾りつけが次第にエスカレートし、第21代王・英祖(ヨンジョ)の時代の1756年に禁止令が発布される。

13歳になったとある貴族の娘が豪華な“加髢”の重さに耐えられず首の骨を折ったり、高価な“加髢”を用意できず婚礼できない女性が続出したことがその理由だったらしい。

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