NHK総合テレビで日曜日の午後8時から放送されている『べらぼう』は、18世紀後半の江戸で版元(出版社)として成功した蔦屋重三郎(演者は横浜流星)が描かれている。
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彼の場合は、日本橋にある自分の店で書物を制作し、さらに販売していた。つまり、版元でありながら、同時に書店も経営していたのだ。そんな蔦屋重三郎の活力ある生き方が、江戸の出版文化を大いに広げていた。
それでは朝鮮王朝ではどうだっただろうか。当時の朝鮮王朝時代の書店事情について見てみよう。
11代王・中宗(チュンジョン)の統治時代(1506~1544年)の以前なら、書物は大変高価なものであり、一部の両班(ヤンバン)しか買うことができなかった。このように、特権階級しか本を読まないので、書店も特別に必要とされていなかった。
しかし、16世紀に入って以後、手軽に本を購入できるような書店の設置が多くの知識人から要望された。とはいえ、先祖から受け継いだ書物を売ることは恥だと考える人が多く、本の売買は活性化されなかった。
ようやく14代王・宣祖(ソンジョ)の統治時代(1567~1608年)になってから、漢陽(ハニャン/現在のソウル)の繁華街であった鍾路(チョンノ)に、出版社と書店を兼ねた場所が登場するようになった。これは朝鮮王朝でも画期的なことであった。
さらに、17世紀になると活版印刷機を所有して書物を作る事業も開始された。この場合は、学習教材書、医学書、儒教の典籍、科挙受験用の参考書などが多く出回っていった。師弟の教育のために『小学』といった子供用の儒教書籍も盛んに売られるようになった。
さらに、18世紀になると『春香伝』といった大衆娯楽小説も活版印刷を使って大量に作られるようになり、書店には多くの小説が並んだ。
以上のように、18世紀というのは、江戸も漢陽も出版文化が大きく開花した時代であったと言える。万人受けする面白い書物はベストセラーになったので、才能がある作家の需要が一気に高まった。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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