名君の正祖(チョンジョ)が成長していく姿をイ・ソジンが一途に演じた『イ・サン』は、今も根強い人気を誇っている。
さすがに、「時代劇の巨匠」と呼ばれたイ・ビョンフン監督の演出作品だ。ストーリーとキャストが申し分なかったし、苦難に打ち勝って素晴らしい国王になっていく過程がとても見応えがあった。そういう面では、視聴者が心から共感できる時代劇であったし、何度でも思い返したい場面がとても多かった。
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このように絶賛されているドラマから史実に話題を広げると、特に注目したかったのが、歴史的に正祖を取り巻く3人の女性だ。
まず、気になったのは正祖の妻であった孝懿王后(ヒョウィワンフ)である。
彼女は大変な人格者であったと記録に残っている。さぞかし、王宮でも多くの人に慕われたことだろう。
しかし、正祖の妻として評判が良かったものの、子供を産むことはできなかった。正祖もさぞかし残念に思っていたことだろう。
正祖は1800年に亡くなったのだが、それから21年後の1821年に孝懿王后は68歳で世を去った。その死は大変惜しまれて、その後も「一番徳があった王妃」として歴史に名を残している。
一方、『イ・サン』でハン・ジミンが演じたソンヨンのモデルと称されているのが、正祖の側室だった宜嬪(ウィビン)・成氏(ソンシ)である。
正祖には4人の側室がいたが、その中で宜嬪・成氏がもっとも寵愛されたと言われている。そして、彼女は正祖との間で文孝(ムニョ)世子という王子をもうけている。この王子がスクスクと成長していれば、正祖の後を継ぐ可能性が高かったのだが、この王子は5歳で早世してしまった。
さらに、悲劇は続く。宜嬪・成氏は再び妊娠したのだが、出産することがなく亡くなってしまった。
結局、正祖の後を継いで王位を継承したのは、綏嬪(スビン)・朴氏(パクシ)という側室が産んだ王子だった。それが、23代王の純祖(スンジョ)であった。
このように、正祖を取り巻く女性の中で、国王の母になったのは綏嬪・朴氏であった。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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