『べらぼう』で描かれた1780年代は日本列島と朝鮮半島でどんな時代だったのか

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NHKの大河ドラマ『べらぼう』は、江戸の出版業で名を成した蔦屋重三郎(演者は横浜流星)が主人公となっている。描かれているのは1780年代であり、この時期の日本列島は天災が多かった。

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1783年7月8日に浅間山が大噴火を起こし、江戸も火山灰で覆われてしまった。この年は大飢饉に見舞われたが、それも大噴火の影響が少なからずあった。1786年7月には長雨によって利根川が決壊し、江戸も洪水まみれになってしまった。

そういう混乱の中で、10代将軍の徳川家治(演者は眞島秀和)は8月25日に亡くなり、それが引き金になって8月27日に田沼意次(演者は渡辺謙)が解任された。

彼は老中として江戸幕府の政治を主導したが、その一方で、「賄賂政治の元締め」のように評判がよくなかった。それでも、貨幣経済を取り入れて幕府の財政を立て直したという功績もあった。

1787年5月20日には、米の価格高騰に怒った江戸の庶民が「打ちこわし」を起こしている。この「天明の打ちこわし」は江戸だけではなく全国に波及した。

『赤い袖先』
傑作時代劇『赤い袖先』ではジュノ(2PM)が名君イ・サンを演じていた(NBCユニバーサル・エンターテイメント/©2021MBC)

刷新された朝鮮王朝の政治システム

このような天災・事件が起きた1780年代。朝鮮半島はどのようになっていただろうか。

当時の朝鮮王朝では、名君として有名だったイ・サン(22代王・正祖〔チョンジョ〕)が統治していた。

彼は1776年に即位したが、学者も顔負けなほどの読書家で、中国の古典から朝鮮半島の歴史までを知り尽くしており、博学を基にして知性的な文人政治を行った。そんな彼は1780年代に、身分にかかわらず人材を活用して官僚の人事面で成果を挙げ、朝鮮王朝の政治システムを刷新した。

また、庶民の暮らしに直結する実学を奨励。さまざまな技術が改良されて人々の生活向上に役立った。さらに、文化を活性化させる政策を取り入れて、文芸が盛んになっている。まさに1780年代は、名君の統治の成功によって朝鮮王朝の充実期だった。

以上のように、同じ1780年代でも日本列島と朝鮮半島は、まったく違う世相を見せていた。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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