NHKの大河ドラマ『べらぼう』では、18世紀後半に江戸の出版業で活躍した蔦屋重三郎(演者は横浜流星)の生涯が描かれている。同時に、江戸幕府で政治の主導権を取った田沼意次(演者は渡辺謙)の動向も描写されている。
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この田沼意次は、日本史では「賄賂政治の元締め」のように評判がよくないのだが、『べらぼう』では彼の人物像にも光を当てており、貨幣経済をいちはやく取り入れて幕府の財政を立て直した功績も取り上げている。
とはいえ、足軽一家の出身にすぎなかった田沼意次が幕府政治の中心人物になれたのは、10代将軍・徳川家治の後ろ盾があったおかげだ。逆に言うと、後ろ盾がなくなると、盤石に見えた田沼意次の権力も、意外ともろかつたのである。
同じ時期、18世紀後半の朝鮮王朝にも、田沼意次と似たような立場の人物がいた。それが、1776年に22代王・正祖(チョンジョ)として即位したイ・サンの重要な側近だった洪国栄(ホン・グギョン)だ。
この人物は、時代劇『イ・サン』ではハン・サンジンが扮しており、『赤い袖先』ではカン・フンが演じていた(『赤い袖先』で洪国栄は号のホン・ドンノと称されていた)。
史実の洪国栄は官僚として有能だったのでイ・サンが重用した。それによって、洪国栄の立場が強固になり、どんな上奏文も洪国栄を通さなければならないほど彼は重責を担った。
そうした栄光の中で、洪国栄は次第に傲慢になり、王妃を毒殺しようとした嫌疑をかけられてしまった。こうなると、イ・サンも洪国栄をかばうことができなくなった。しかし、死罪まではしないで、温情によって地方へ追放する処置にとどめた。それは、1779年のことだった。
その後、洪国栄は失意の中で荒れた生活に陥り、1781年に33歳の若さで世を去った。まさに、栄華を極めた男の哀しい末路であった。
田沼意次もやがて失脚する時期が来る。後ろ盾だった徳川家治が亡くなったことが直接の原因だった。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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