史実で読み解く『トンイ』⑳王妃の供養で粛宗はどれほど感動的な文章を残したのか

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時代劇『トンイ』でパク・ハソンが演じた仁顕(イニョン)王后が、史実で息を引き取ったのは1701年8月14日(旧暦)だった。その日の様子を『仁顕王后伝』が詳しく描いている。その描写を再現してみよう。

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宮中に号泣が轟いて、宮女たちはお互いに頭をぶつけ合って嘆き悲しんだ。粛宗は本当に絶望的な気持ちになった。

大地を叩いて泣き叫び、涙がおびただしく流れた。着衣は濡れ、宮中のみんなが粛宗のいたわしい姿を見て仰ぎ見ることができなかった。

宮中の人々も市井の庶民も心から悲しんだ。まるで父母が亡くなった時のようだった。それほど王妃はみんなから慕われていたのだ。

礼に則り宮中の誰もが喪に服したが、9月4日に盛大な供養が行われた。粛宗は自ら文章を作成し、礼官に読ませた。その文章の大意は以下のものだった。

『トンイ』の粛宗
『トンイ』ではチ・ジニが粛宗を演じた

粛宗のいたわしい姿

「賢い王妃がついに崩じてしまった。これは夢か現実か。余はまるで分別ができない。本当に悲痛の中にいるのだ。王妃は名門に生まれ、兄の指導を受けた。抜きんでた才能と美しい行いは本当に素晴らしいものだった。それなのに、余が至らないために5年の廃位を過ごさなければならなかった。その不遇の時節にすら徳を積み重ねて、余の過失を世間に隠してくれた。それこそが王妃の聖徳であった。その後は、花のように美しい季節と正しい徳が宮中に満ち、太平の世となった。それなのに天は賢い王妃を奪い、余の願いをすっかり虚しくしてしまった。ああ、王妃は安らかに亡くなって、余はこれから長い世の悲しみをどのように耐え忍べばいいのだろうか。余が王妃を亡くしたことは、こんなにも悲しみが深いのである。余が過失で5年の苦境を強いたことを考えると、誠に愕然たる気持ちが生じてしまい、余の胸をかきむしるのである」

このように痛切な文章を記した粛宗は、諡(おくりな)を「仁顕王后」と決めた。そして、12月8日に仁顕王后は埋葬された。

文=康 熙奉(カン・ヒボン) 

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