時代劇『トンイ』も終盤が近づくと、パク・ハソンが演じる仁顕(イニョン)王后の臨終の場面が描かれた。粛宗(スクチョン/演者チ・ジニ)は慈愛の心で仁顕王后の最期を見届けたのだが、それは史実でも同じだった。『仁顕王后伝』は、当時の粛宗の様子も詳しく描写している。
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1701年8月(旧暦)のことだった。病床で死期を悟った仁顕王后は、粛宗に向かってこう言った。
「私は、一度王妃の座を去りましたが、再び御恩を受けて王妃に戻り、今は思い残すことは何もございません。ただし、子供を1人も残せず、聖上(粛宗のこと)に報いることができませんでした。それが心残りで、安らかに目を閉じることができません。どうか聖上は百歳まで長寿を全うされますように」
粛宗は悲しみ、涙をこぼして言った。
「中殿(チュンジョン/王妃のこと)はどうしてそのような不吉なことを言うのか」
粛宗は涙で袖を濡らした。その場には、世子や王子もいた。彼らに向かって、仁顕王后は言った。
「あなた方は私のような薄命を真似ることなく、聖上とともに長寿を全うなさるように」
トンイこと淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ/演者ハン・ヒョジュ)が産んだ延礽君(ヨニングン)の手を取って、仁顕王后はこう呼びかけた。
「この子は利発で、私も随分可愛がりました。それなのに、成長する姿を見届けることができなくなってしまいました」
仁顕王后はこう語り、本当に残念な表情を見せていた。
さらに、仁顕王后は兄弟や甥にも引見して悲しみに耐えていた。兄弟たちも嗚咽して言葉が出てこなかった。粛宗はその様子を見ていて、さらに涙を流した。
それから粛宗が食事を勧めると仁顕王后はわずか一口だけ味わった。粛宗が自ら枕を直して仁顕王后を休ませたが、もはや死期を遅らせることはできなかった。
1701年8月14日、昌慶宮(チャンギョングン)の景春殿(キョンチュンジョン)において仁顕王后はついに亡くなった。王妃に復帰してから7年が経っていた。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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