トンイの息子ゆえの苦悩か…名君・英祖が世弟時代に苦しめられたピンチ

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『トンイ』でチ・ジニが演じていた19代王・粛宗(スクチョン)は、実際には1720年6月8日に世を去っている。それによって、張禧嬪(チャン・ヒビン)の息子が20代王・景宗(キョンジョン)として即位した。その後、トンイが産んだ延礽君(ヨニングン)が世弟(セジェ/国王の後継者となる弟のこと)となった。

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延礽君を支持する老論派は強気だった。「殿下は病弱ですから延礽君に代理で政治をまかせたらいかがでしょうか」と主張して、景宗の譲位を引き出そうとした。

気が弱い景宗は老論派の強硬な意見を拒否できず、一旦は異母弟の摂政を受け入れる気持ちを示した。しかし、すぐに取り消した。景宗を支持していた少論派が強気に反撃してきたからだ。

1721年12月6日、少論派の急先鋒だった金一鏡(キム・イルギョン)は、「老論派が謀反を企てている」という上訴文を出した。

それを契機に権力闘争が激化し、老論派の4人の大臣が罷免された。その結果、政権の中枢を少論派が独占するようになった。こうなると、延礽君の身分が危なくなってきた。

『赤い袖先』
『赤い袖先』ではイ・ドクファが英祖を演じた(NBCユニバーサル・エンターテイメント/©2021MBC)

命拾いした延礽君

少論派は老論派の壊滅を狙い、1722年3月27日に睦虎龍(モク・ホリョン)という者を使って老論派の謀反を訴えた。

「殿下を殺害しようとする逆賊がいます。早くつかまえてください」

こう述べた睦虎龍は逆賊たちの名前をあげた。それは、以前処分された老論派の4大臣の家族や後輩たちだった。その後、60人以上が死罪となり、老論派は政権から完全に追放された。

延礽君は後ろ楯となっていた老論派が没落したために、命の危険すら感じた。さらに、延礽君自身が謀反を起こそうとしているという嫌疑を受け、彼は厳罰の対象者になってしまった。

大ピンチに陥った延礽君であったが、なんとか助かったのは景宗の兄弟愛のおかげだった。母親同士は宿敵だったが、景宗は弟思いであった。

そんな異母兄によって命拾いした延礽君は、謹慎生活を送って次のチャンスをひたすら待った。彼が国王の英祖(ヨンジョ)として即位できたのは、それから2年後のことだった。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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