朝鮮王朝が建国されるきっかけとなった歴史的な大事件がとても刺激的だ。
918年に建国された高麗王朝は14世紀後半には制度上でも崩壊寸前だった。大将軍だった李成桂(イ・ソンゲ)はそれを嘆いていた。1388年、中国大陸で新たに覇権を握った明は、領土的野心を見せて高麗に攻め入る構えを見せていた。高麗王は「明を討つべきだ」と命令した。大反対だったのが李成桂だった。
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「小国が大国に逆らってはいけません」
彼は、無謀な戦いで兵士が命を落とすことを避けたいと思っていた。しかし、高麗王は李成桂の言葉に耳を傾けなかった。しかも、李成桂は遠征軍の大将として大軍で出撃する羽目になった。
北に向かって進軍したとはいえ、李成桂は「農繁期に若者たちを兵士にするのは無謀だ」と嘆いていた。それだけに、民の暮らしを無視する高麗王に不信感を持った。
高麗軍は領土の北端だった鴨緑江(アムノッカン)に着いた。川には威化島(イファド)という中州があり、そこで高麗軍が駐留したが、大雨で鴨緑江を越えられなくなった。そんな状態で前に進むのは、あまりに危険だった。
李成桂は迷った。大河を強行突破するべきか、それとも、王命にさからって引き返すか。結局、李成桂は威化島から全軍を引き返すことに決めた。それは堂々たる決断であったが、もちろん李成桂にも野心があった。彼は、王命に逆らって処刑されるなら、むしろ高麗王を排除して世の中を変えようと思った。
それゆえ、李成桂は都の開京(ケギョン/現在の開城〔ケソン〕)を攻める決断をした。彼は他の武将を説得して果敢に開京を攻めて、ついに無能な国王を追い出した。
これが、歴史の大転換となった。李成桂が成功させた「威化島回軍」は、高麗王朝を滅ぼす契機になった。その後の李成桂は最高実力者になり、ついに1392年に朝鮮王朝を建国して初代王の太祖(テジョ)になった。そのことは、大河時代劇『太宗 イ・バンウォン~龍の国~』にも詳しく描かれていた。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
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