李成桂(イ・ソンゲ)は、『龍の国』でキム・ムセン、『大風水』でチ・ジニ、『六龍が飛ぶ』でチョン・ホジン、『私の国』と『太宗イ・バンウォン~龍の国~』ではキム・ヨンチョル、『元敬』ではイ・ソンミンが演じている人物だ。
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李成桂は、1392年に朝鮮王朝を建国した人物である。もともと高麗の武将だった彼が王となるまでの過程をたどると、彼の政治的手腕や戦略が際立つ一方で、王朝成立の裏には激しい内部抗争があった。
李成桂は高麗の武将として、倭寇の撃退など数々の戦功を挙げ、高麗随一の武将として頭角を現した。1388年、中国の明が高麗を威嚇する中、高麗の禑王(ウワン)は明に対抗するため出兵を命じる。
しかし、李成桂は「小国が大国に逆らうべきではない」と反対したものの、意見は聞き入れられず、遠征軍の大将に任じられた。出征した李成桂は、威化島(ウィファド)で長雨により進軍を断念し、軍を引き返して高麗を制圧する「威化島回軍」を決行した。
この行動により、李成桂は高麗の実権を握り、禑王を追放して傀儡の王を立てるなどして政治基盤を築いた。そして1392年、朝鮮王朝を建国し、初代王・太祖(テジョ)として即位した。
太祖は都を開城(ケソン)から漢陽(ハニャン、現在のソウル)に移し、基盤を固める一方で、1395年には景福宮(キョンボックン)の建設を開始した。しかし、当時54歳だった彼は後継者選定を急がなければならなかった。
8人の息子の中から八男の芳碩(バンソク)を跡継ぎに指名したことは、先妻の息子たち、特に五男の芳遠(バンウォン)の反発を招いた。
芳遠は芳碩の後継指名に不満を抱き、彼を支持する側近の鄭道伝(チョン・ドジョン)と異母弟を排除するため、1398年に「第一次王子の乱」を起こした。
この混乱の結果、太祖は退位し、芳遠は二男の芳果(バングァ)を次の王に推薦した。しかし芳遠は軍事力を掌握し、実質的な影の王として権力を握り続けた。
1400年には四男の芳幹(バンガン)が王位を狙ってクーデターを起こすが、芳遠に敗北し「第二次王子の乱」が勃発。最終的に芳遠は芳果から王位を譲り受け、第3代王・太宗(テジョン)として即位した。
朝鮮王朝の幕開けは太祖の功績に始まりながらも、その後は息子たちによる骨肉の争いが絶えない混乱の時代だった。その背景には、王権をめぐる複雑な人間関係と権力闘争が渦巻いていた。
【李成桂(太祖)の人物データ】
生没年
1335年~1408年
主な登場作品()内は演じている俳優
『龍の涙』(キム・ムセン)
『大風水』(チ・ジニ)
『六龍が飛ぶ』(チョン・ホジン)
『私の国』(キム・ヨンチョル)
『太宗イ・バンウォン~龍の国~』(キム・ヨンチョル)
『元敬』(イ・ソンミン)
文=大地 康
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