518年も続いた朝鮮王朝の創始者「李成桂」はなぜ遷都を決意したのか

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朝鮮王朝が建国する前に統治していた高麗(コリョ)は、34人の国王を擁する一大王朝だった。建国したのが918年で、その18年後の936年に朝鮮半島を統一している。以後、1392年まで456年間も続いたのだが、朝鮮王朝はこの高麗の制度を実によく取り入れている。官僚組織や科挙などがその典型的な例である。

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もともと朝鮮王朝を開いた李成桂(イ・ソンゲ)が高麗の武将であり、高麗の統治機構に精通していた。また、初期の朝鮮王朝は高麗時代の優秀な官僚をそのまま採用して人材を活性化させている。いわば、朝鮮王朝は高麗の見習うべき制度を巧みに受け入れて、国家の基盤づくりに生かしたのである。

ただし、王朝が一新されたことを明確にするためにも、高麗とはガラリと変えたことがある。それが遷都だ。

高麗の都は朝鮮半島の中央部に位置する開京(ケギョン/現在の開城〔ケソン〕)であった。地の利もよく王宮などの施設が揃っている、という点では、李成桂も朝鮮王朝の都をそのまま開京にするほうがはるかに便利だったことだろう。

しかし、李成桂は「高麗時代の影響が残りすぎている開京に安住していると新しい王朝の未来像が描けない」と思い、困難を承知で遷都する意志を固めた。以来、風水師を動員して民族の精気が宿る土地を探した結果、白羽の矢を立てたのが漢陽(ハニャン/現在のソウル)だった。

太宗 イ・バンウォン~龍の国~
時代劇『太宗 イ・バンウォン』ではキム・ヨンチョルが李成桂を演じた(画像=KBS)

王朝の創始者としてふさわしい王

漢陽は開京から南西に50キロ行ったところにあり、風水師が太鼓判を押しほど「気」が満ちた場所だった。そこに遷都した朝鮮王朝は結局、518年間も続く長寿王朝になった。その初代王となった李成桂は、王朝の創始者にふさわしく太祖(テジョ)と称された。

朝鮮半島の歴史には太祖が2人いる。高麗を建国した王建(ワン・ゴン)も太祖と呼ばれているのである。しかし、韓国で太祖と言えば、真っ先に李成桂を指す。朝鮮王朝をつくった李成桂の影響力は、とてつもなく大きい。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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