『王になった男』によく登場する「後金」とはどんな国なのか

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ヨ・ジングが主演した『王になった男』では、政治の外交の場面に「後金」がひんぱんに登場する。

それだけに、「後金はどんな国?」と疑問を持っている視聴者も多いことだろう。このドラマに出てくる王のイ・ホンは15代王の光海君(クァンヘグン)がモデルになっているが、史実でも光海君の時代は後金の影響力が強かった。そこで、この国について詳しく説明していこう。

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朝鮮半島の北に位置する満州に定住していた民族は「女真族」と呼ばれたが、16世紀末から女真族を支配したのがヌルハチ(姓は愛新覚羅〔あいしんかくら〕)で、彼は1616年に後金を建国した。

当時の中国は明(みん)が統治していたが、国力が衰えていて、ヌルハチになかなか対抗できなかった。光海君は明から援軍要請を受けたが、後金の強さをよく知っていたので、中立外交に徹した。結果的に、これが朝鮮王朝の安泰につながった。そういう意味では、朝鮮王朝の外交はここまでは成果を発揮していた。

写真=『王になった男』公式サイトより

朝鮮王朝と後金の関係は?

1623年に光海君はクーデターで廃位となり、仁祖(インジョ)が16代王になった。彼は後金を軽視して、明を支援した。怒った後金は1627年に攻め込んできて、朝鮮王朝は結局は屈伏せざるをえなかった。

仁祖は詫びて必死に和睦に持ち込んだが、彼はその後も後金に反抗的な態度を示した。すると、後金から国号を「清」に変えた後、その清が1636年12月に10万以上の大軍で再び攻めてきた。仁祖は籠城した末に、漢江(ハンガン)の川辺の三田渡(サムチョンド)で清の皇帝に土下座をして謝罪した。この事件は朝鮮王朝の最大の屈辱と言われている。それからは、朝鮮王朝は清に徹底的に従わざるをえなくなった。

その後、清は1644年に明を滅ぼし、中国大陸も制覇した。それほど強い清に逆らってはいけなかったのだ。そこが仁祖の大失敗だった。

もしクーデターで王宮を追われていなければ、光海君は後金との外交を巧みに行なったはずである。『王になった男』というドラマも、そうした史実を取り入れながら、後金という国を描いていた。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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