実は名君だった? 光海君が「再評価すべき人物」に選ばれる理由

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映画『王になった男』の主人公である朝鮮王朝第15代王・光海君(クァンへグン)。

王座に固執するあまり血を分けた兄弟たちを殺したことで“暴君”とされたが、その業績を冷静に見直すと、光海君のもうひとつの顔が見えてくる。

映画『王になった男』(写真=(c)2012 CJ E&M CORPORATION ALL RIGHTS RESERVED)

例えばその政策だ。光海君は1608年に王位に就くと、貢物を米、布、銭にする「大同法(テドンポブ)」という税制改革を実施した。

それまで朝鮮王朝では、各地方の特産物(現物)で貢納を義務づけていたため、農民が魚を、漁師が農産物を納めることはできなかった。結果、庶民は商人から購入して収めるしかなく、官僚たちの搾取もあった。

そうした不平等を正すために、貢物を現物から米に変更。1結(1ha~4ha)あたり米12斗を徴収した(一部地域では布や銭を貢物に)。

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さらに光海君は課税及び労役付与を公平にするために、号牌法や量田も実施した。その改革は民衆の側に立った改革と言える。

また、1609年には壬辰倭乱以降、断絶していた日本(江戸幕府)と和議を結ぶなど、外交でも非凡な政治手腕を発揮。

特に当時の中国は明と後金(のちの清)との間で勢力争いが続いていたのだが、光海君はその戦乱に巻き込まれ民が無駄死にせぬよう中立外交を維持した。

歴代朝鮮王朝は親明政策をとっており、光海君の時代には明から後金討伐のための援軍も要請されたが、光海君は1万の軍勢を派遣するも、形勢が不利ならば後金に投降するよう指示。後金との不必要な衝突や確執を回避する、中立外交をとった。

これによって朝鮮王朝はその後、明を滅ぼした後金からの侵攻を受けなかった。今にして思えばそれは、大国論理に巻き込まれ国が滅ばぬよう自立した、バランス外交だったと評価できる部分もある。

こうした功績を再評価し、韓国の歴史教師たちが光海君を「再評価が必要な歴史人物第1位」に選んでいるわけだ。

文=慎 武宏

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